
富士山は、五合目から登るもの——。
いまではそれが当たり前となっています。
けれど、かつての富士登山は、麓の町から始まっていました。北口本宮冨士浅間神社へと続く「富士みち」は、信仰や人々の営みを背負いながら、山頂へとつながる一本の道。
ゼロ合目から歩き出してみると、富士山は「登る山」ではなく、「たどる道」になる。町から森へ、文化や信仰の痕跡を踏みしめ、やがて雲の上へ——。
本記事では、富士みちを起点に、ゼロ合目から山頂までを歩き通す「ZERO to FUJI」という登り方を紹介します。それは、ただ山頂を目指すだけではない、もうひとつの富士登山のかたち。
人の営みや歴史が積み重なる「富士みち」

登山者にはあまり知られていない、江戸時代から歩かれている富士山への古道が、いまも息づいています。
それが、山梨県大月市から富士山の山頂に続く「富士みち」。
富士講の人々と富士山をつないだ参詣道で、関東一円から富士みちを通じて富士吉田の町に人々が集まりました。そして、富士吉田市にある北口本宮冨士浅間神社を起点として吉田口登山道につながり、六合目で吉田ルートに合流。富士山の麓から山頂まで続く、数少ない道です。

江戸時代の古地図や明治期の写真を見ると、「富士みち」が富士登山の主要な道として使われてきたことが分かります。五合目から登る現在のスタイルが一般化する以前、富士山はこの道を通って、麓から登るのが当たり前だったようです。

「富士みち」は、富士山を神聖な山として信仰する民衆の集まり「富士講」により、たくさんの先人が登った山岳信仰の道。健康や一家繁栄・商売繁盛などを願い、心身の浄化を目的として、富士山に登山する「登拝」が行われています。

また、富士修験の道でもありました。山伏は、自然そのものに神仏を見出し、富士山という霊山に入って修行することで、煩悩を払い、超自然的な力を身につけていたようです。

深い森に包まれた道沿いには史跡や当時建っていた茶屋などの名残がそこかしこにあり、思いを馳せればかつての賑わいが肌で感じられそうなほど。
ただの登山ではない「ZERO to FUJI」

多くの人にとって、富士山は五合目から始まる登山です。富士宮ルートや御殿場ルートなど、いまではそれが“普通”になっています。けれど、かつては麓の町から歩き出すのが当たり前でした。
ゼロ合目から歩いてみると、富士山は「登る山」ではなく、「たどる道」になる。信仰や修験の道として、江戸時代から続いてきたこの道を、現代の登山の楽しみ方として捉え直す。それが「ZERO to FUJI」です。

現在の登山ルートの多くが、交通事情や観光の発展とともに整備されてきたのに対し、富士みちは、麓から山頂へと人が歩き続けてきた歴史そのものをなぞる道です。どこから登るかという選択は、富士山との向き合い方を選ぶことでもあります。
今回、そんな「ZERO to FUJI」を、サロモンスタッフの矢野可菜さん、富士吉田市富士山課の小沢智成さんと一緒に、富士山頂までの道のりを歩き通してきました。

サロモンスタッフ 矢野さん:辛くて、辞めたいと思ったんです。正直、泣くつもりはなかったんです。でも、歩いてきた道や景色を振り返った瞬間、自然と涙が出ました。富士山に初めて登ったのに、“ただ登っただけじゃない”感覚が残ったのが印象的でした。

富士みちをゼロ合目から歩き、信仰や修行の「道」と呼ばれてきた理由を肌で感じたという矢野さん。町から山頂までをつなげて歩くことで、人の営みの積み重なりが実感として伝わってきたといいます。そして、日本最高峰へ登る苦しさを超えた先に、思わず涙がこぼれるほどの深い感動があったようです。
ただの登山ではない富士山への「道」を一泊二日で歩いた、その様子をみていきましょう。
一日目:「富士みち」をたどる。先人の営みと自然が色濃く香る、ゼロ合目から五合目

「富士みち」から続く登山道の入口となるのが北口本宮冨士浅間神社。世界遺産・富士山の構成資産のひとつであり、1900年以上の歴史があります。
入口の鳥居をくぐり、立派な杉並木と石灯籠が両脇に佇む参道を進む。出迎えてくれるのは、木造の鳥居としては日本最大級の冨士山大鳥居です。荘厳な姿を前に身が引き締まり、登山への静かな高揚感が湧き上がってくるようです。

まずは、登山の無事を願ってお参り。そして、北口本宮冨士浅間神社の西宮本殿右手後方にある登山門を過ぎれば、いよいよ富士山山頂への道のりが始まります。

中ノ茶屋までの吉田口遊歩道は、1929年から富士登山バス(富士山自動車株式会社)が運行されていた道路。そのためか、道幅は広く、足元には石が敷かれ、道が整備されていたことがうかがえます。多くの登山者を運んだ富士登山バスですが、1964年に富士スバルラインが開通したことで廃業となりました。

北口本宮冨士浅間神社の登山門から馬返しまでの中間地点にあるのは、300年以上の歴史をもつ中ノ茶屋。昔から多くの登山客を見守ってきました。

サロモンのシューズがレンタルできたり、スナック菓子やチョコレートなど行動食の買い足しもできたりします。装備をいまいちどチェックして、最後の身支度を整えるのに便利なポイントです。

名物は「みたらしだんご」や「かりんとうまんじゅう」。甘味をとって身も心も満たし、再び吉田口林道を90分たどると、馬返しに着きます。

馬返しは、険しくなる登山路の手前で、乗ってきた馬を帰して徒歩に切り替えた場所です。


馬返しには、富士山の歴史に触れられるものがあります。それが、石造りの鳥居の両脇に配置されている、合掌する猿の像。
一夜にして富士山が湧き出たという伝説。それが庚申(かのえさる)の年であったことから、富士山の使いとして、猿が鎮座しています。
こうした由来や伝承を思い浮かべながら歩いていると、頭で理解していた歴史が、少しずつ足裏の感覚として積み重なっていくようです。

いよいよ登りがきつくなり始め、ひと息つきたいときに現れるのが、一合目にある鈴原社。立派な建物の中には大日如来像が奉られていましたが、いまは富士吉田の町に安置されています。

足元に目をやると、多くの人が往来していた痕跡がみられます。石畳で整備され、登山道というよりは古道といった印象。
雨などで降った水を逃がす排水溝や、水を留めて浸水させる浸透桝もあちこちに。水で削られやすい土壌を守るために施された先人の知恵に、感嘆するばかりです。

苔が生い茂り、広葉樹や針葉樹が林立する道を三合目まで登り詰めれば、森がふと開けた場所に出ます。見晴らしが効き、ゼロ合目からの登りを振り返りながらお昼休憩するのに、もってこいの場所。
江戸時代から二軒の茶屋が立ち並び、早朝に出発した登山者も、この場所で昼食を取ることが多かったことから「中食堂(ちゅうじきどう)」という名だったそう。見晴らしの良い場所でお昼を、という登山者の気持ちは、今も昔も変わらないようです。

お腹を満たしてふたたび歩みを進めると、四合目「大黒小屋」、四合五勺「御座石」、五合目「中宮」と次々に出てくる先人の足跡。


体は疲れを感じ始めているにもかかわらず、知的好奇心が刺激され、軽快になる足取り。町から続く道を、自分の足でここまでつないできたという道のりも後押しになって、次の一歩を自然と前に運んでくれるようです。

そして、いつの間にか一日目の宿泊ポイント、五合目の佐藤小屋に到着。

夕食の美味しいお鍋に舌鼓をうち、早めに就寝をして、明日に備えます。
サロモンスタッフ 矢野さん:山頂付近の0度近い気温を想定した装備を背負いながら、夏山の暑さに苦しみましたが、小屋のなかは快適で、あたたかい食事に元気が出て、体をしっかり休められました。(取材は2025年9月)
美味しい夕食を存分に楽しんだ後は明日の行程とスケジュールをしっかりと確認、明日はいよいよ富士山頂へアタックします。
2日目は佐藤小屋(五合目)から山頂を目指して登り、そして下山をするという長くハードな行程をこなさないといけません。
いつもよりちょっとだけ空が近い、この場所でしか見ることの出来ない満天の星空に余韻を残しつつ、少しでも体力を回復させるために早めに床に就きます。
後編へ続く。
原稿:大堀啓太
写真:武部努龍
協力:富士吉田市、ふじさんミュージアム、アメアスポーツジャパン(SALOMON)