何の為に走るのか~サハラ砂漠を250km走るマラソン~

「最強のマネージャーになります!」そう言って、尾藤朋美さんの付き人のようなことを始めたことがきっかけだった。尾藤さんは、2021年のサハラマラソンで、初挑戦にして日本人最高順位「準優勝」を記録。現在【世界一を目指すウルトラランナー】として活躍している。【最強のマネージャー】とは、そんな世界一を目指す尾藤さんを支えるマネージャーになるからには、マネージャーとして世界一、つまり最強でなければならない、という中学生のような安易な考えとネーミングで名乗り始めた。

今回、サハラマラソンに挑戦しようと思った理由は「尾藤さんが世界一を目指す舞台であるサハラマラソンを走ったことが無いままで【最強のマネージャー】を名乗ることができるのか?」「否。」と使命感に駆られ、出場を決めた。また、僕は尾藤さんのYouTubeチャンネルやInstagramの動画撮影・編集をしているのだが、その中で尾藤さんが2020年大会の動画を振り返り「もっと綺麗なゴールシーンが欲しい」と言っていた。そして「つっちー(筆者)が出るなら、先にゴールしてゴールシーンを撮ってもらえるね」と言った。それはそのまま僕がサハラマラソンを走る理由の一つになった。

球磨川リバイバルトレイル100mile優勝の尾藤さんと併走して追い撮り

サハラマラソンとは

サハラマラソン(正式名称:Marathon des Sables、略称:MDS)とは、1週間(全6ステージ)でモロッコのサハラ砂漠を250km走るステージレースだ。

開催時期は例年4月の一週間。開催場所はモロッコのサハラ砂漠だが、コースは毎年変わる。参加者は毎年1,000〜1,300人。参加のための条件はほとんどない。そして、完走率は例年90%を超える。

サハラ砂漠の気温は日中40℃、夜中は10℃。レース中に与えられるものは「水」だけ。それ以外の一週間分の食事や服、寝袋、その他必要な物は全て自分で背負って走る。寝床は砂漠の上に「黒い布のタープ」に「絨毯」という吹きさらしのテント。当然、風呂やシャワーはない、トイレも袋か野に放つ。スマートフォンの電波もほぼ繋がらない。どれをとっても、日本での日常からは想像できない環境だ。

それに加えて、出場のためのエントリーフィーは3770€(約55万円)ときた。国内のレースのエントリーフィーが可愛く感じてくる。過酷な環境に、大枚を叩いて走りに行く。その先にどんな物語が待っているのか、僕の体験談を書いていく。

荷物の軽量化もレース攻略の鍵の一つだ

いざ、サハラ

2023年4月21日

大会の集合場所は、モロッコ・エルラシディア空港。集合方法は2つ。

① 現地集合
② フランスのシャルル・ド・ゴール空港に集合し、チャーター機でモロッコへ

②を選択した僕は、朝4時に空港へ向かった。空港にいるのは全員、サハラマラソン(以下、MDS)の参加者や関係者だ。息が白く染まるフランスを飛び立ち、モロッコを目指す。

約3時間、飛行機の窓から砂の大地が見えてくる。眩しい。そして美しかった。砂漠を初めて見て「こんなところを走ることができるのか」とワクワクしていた。空港に到着すると、モロッコのミントティーが出迎えてくれた。熱くて甘いなんとも言えない美味しさだった。そこからさらにバスで3時間かけて大会会場へ向かう。モロッコの街並みや自然を眺めながら進んでいく。

途中でレースのガイドブックが配布される。この時初めて、選手にレースの各ステージの距離や制限時間、コースが明かされる。レースは全部で5ステージ、4ステージ目に90kmのオーバーナイトステージと呼ばれる制限時間35時間のロングステージが用意されていた。その他のステージは30〜40km、制限時間10〜12時間となっていた。砂漠を走る自分をイメージする。そこには、軽快な足取りで無邪気に砂漠を走り回る笑顔の自分がいた。

手書きの地図に距離や方角、CP(チェックポイント)が描かれている

レース前日・受付

2023年4月22日

「思ったより眠れた」

砂漠で初めての夜を過ごしてそう思った。夕方に砂嵐が来て、テントが潰れたり、身体中が砂まみれになったりとサハラ砂漠の洗礼を受けて疲れてしまっていたのだろう。レース当日までの食事は大会側が支給してくれる。前日のこの日も朝昼晩と食事が提供された。

朝食が済むと、レースの受付が開始された。エリートランナーは食事を含めた必携品の全チェック、ドーピング検査など入念なチェックが行われたが、一般ランナーはパスポート、200€、テクニカルシート(必携品のセルフチェックシート)の3点と荷物の重量チェック(水を抜いて6.5kg以上あること)のみでレースBIBを渡された。

夕食後、各々寝袋に入る。心許ない天井を見つめながら、まるで修学旅行の夜のように、テントメイトと語り合う。MDSに出ようと思ったきっかけや、これまでの人生と、これからのこと。ここには色んな背景や想いを持った人が来ている。ほとんど初対面の人達と酒も飲まず、川の字になって話をするのは少し可笑しくで、でもとても大切な時間だった。

国ごとに6〜7人のテントに割り振られ、レース期間を共に過ごす

レーススタート

2023年4月23日

▼1st STAGE
■距離:36km 累積D+510m
Result:56位/4:21:03

レーススタートのこの日から一週間、自分の持ってきた食料だけで過ごしていく。僕が用意した主食は【サハラ飯】と焼きそば。【サハラ飯】とは、山飯シェフゆかさんがオーダーメイドで作ってくれた、軽くて高カロリーなトレイルフードだ。初日の朝は、ビーフシチューリゾット。水を入れて10分放置、サハラ砂漠の暑さも手伝って、たったそれだけで本格的なビーフシチューがいただける。砂漠しかないこの環境でこんなに美味しい食事ができるなんて、と初日から感動していた。

スタート前、緊張感のある中、MCが始まる。サハラマラソンでは、各ステージ前にコースの紹介と注意事項、当日の変更点がアナウンスされる。続いて、その日のバースデーレーサーを紹介する。不思議な風習だ。

気がつけば時刻は定刻の8:30を過ぎている。細かいことは気にしない。

「3・2・1・GO!」

スタートと同時に飛び出す。世界レベルのレースを体感したい、自分がどこまで通用するのか試したい。出るからにはと、そんな思いも持ってやってきた。

レース序盤、10連覇を狙う絶対王者ラシッドよりも前を走る。オーバーペースか?と思うも、ここは砂漠。自分のこれまでのランニングの常識では測れない。行けるところまで行くと決め、押していく。世界トップレベルの走りを肌で感じた。高鳴る心臓の音が聞こえてくるようだった。

⑥初日スタート直後の写真「エリートの中で走る貴重な一枚」

CP1(13km)を過ぎて、砂が深くなっていった。ここまでのように踏み込んで走ろうとしても、脚が返ってこない。砂漠の深い砂の前で、反発は無力だった。ムキになって強く脚を踏み込むほど、その力は砂に吸収されていく。踏み込む力と一緒に気力まで吸い込まれていくようなそんな気分だった。

17kmを過ぎて、完全に足が止まった。思うように走れない、もどかしかった。レース前、妄想の中で砂漠を無邪気に走り回っていた僕は、そこにはいなかった。そして、尾藤さんにも追いつかれた。抜かされても追いかけることができなかった。それだけ気力が落ちていた。

「何の為に走るのか」

CP2(24.6km)地点のテントに腰を下ろす。深呼吸をして少し冷静になる。

「ゴールシーンを撮る」

僕の走る理由はそこにあった。尾藤さんの後ろにいては、それは叶わない。再び走り出す。しかし初日はついにゴールシーンを撮ることはできなかった。

「何の為に走るのか」

頭の中はそれでいっぱいだった。

●ステージ終了後の生活
ゴール後はテントに戻って、翌朝まで過ごす。別の場所に来たはずなのに、砂と山に囲まれたその景色は同じ場所に戻ってきたように感じさせる。

寝るまでにやることは、
① 洗濯
② シャワー
③ 食事
このくらいしかない。

洗濯は、トイレ用のゴミ袋に洗濯物と支給された水を入れて、揉み洗いをする。そんなに綺麗になっているわけではないと思うが、サハラ砂漠の暑さの中で干しておけば臭いは気にならなくなる。

シャワーはない。ので、自分で作る。支給されるペットボトルのフタに安全ピンで穴を開け、少量ずつ使えるように工夫をする。汗だくで砂まみれの身体を少しでも洗い流す。身体と心が少しリセットされる、そんな気がした。

食事は【サハラ飯】。夕飯にはチキンカレーを食べた。夕飯の時間は17時くらい、カレーのスパイシーな香りが食欲をそそる。

寝るのはだいたい20時前後、暗くなるとヘッドライトなしでは動けなくなる。自然と早寝になる。翌日以降もレースは続く、睡眠が最大の回復薬だ。

唯一支給される水は飲む以外にも様々なシーンで必要になる

▼2nd STAGE
■距離:31.7km 累積D+760m
Result:113位/5:03:47

1st STAGEの反省を活かして、序盤はペースを落として走ろうと決める。しかし、ひとたび深い砂地に脚を踏み入れると、砂に気力を吸収されてしまう。そうなると最後、脚が止まる。

「砂漠が向いてないんじゃないか」

そんな言い訳で自分を誤魔化そうとする。

●2ndSTAGEステージ終了後
「何のために走りにきたのか」

それを見失った僕はテントの中、静かに横になっていた。ぐるぐると思考が巡る。

世界レベルでの闘い
ゴールシーンの撮影

このままでは何一つできないまま終わってしまうのではないか。サハラに行って、走って完走して、ただそれだけ。確かに走る前は「『所詮』マラソンでしょ?」と。1日3〜40kmパーっと走って終わるんじゃないか?と舐め切っていた。

現実はどうか。

世界の強さに打ちのめされ、砂漠をただ走ったり歩いたり、当然ゴールシーンも撮れない。

真っ黒な天井を突き抜けてくる日差しに嫌気が差しながら、レース前日の夜を思い出していた。テントメイトの1人が言っていた「人生を豊かに生きるには荷物を整理して余白を作る」ことが大事だと。僕も人生には「余裕」が大切だと常に思っていた。しかし、現状「余白」も「余裕」のどちらもなかった。「しなければならない」ことでいっぱいだった。

一つ大きく深呼吸をする。真っ黒な天井しか見えていなかった視界が少しだけ広がった気がした。

レース後の楽しみの一つに、【メッセージ】があった。MDSのWebサイトからレース期間中、選手宛にメッセージを送ることができるのだ。家族や友人、色んな人がメッセージをくれた。レースの状況を見てくれていた人たちからは、心配する声もあった。

情けない。

毎晩みんなからのメッセージで涙が止まらなかった。

振り返ると僕は水の貴重な砂漠の中で、レース中もゴール後も涙ばかり流していた。涙で滲んだメッセージを見ながら「明日も頑張ろう」そう思った。

自分を応援してくれている人がいる、それを教えてくれたかけがえのない宝物

▼3rd STAGE
■距離:34.4km 累積D+590m
Result:45位/4:19:49

「やりたいこと」の為に走ろう。「しなければならない」なんてことは無いのだ。僕の気力を奪い続けた深い砂地も、苦手なら無理して走る必要はない。苦手なことを受け入れて、諦めることも大切だ。

今、僕の「やりたいこと」は何か。マネージャーとして尾藤さんの役に立ちたい。そう思った時に今、僕にできることは、尾藤さんのYouTube用の素材集めだった。ゴールシーンだけがレースの様子ではない。どんなコース、どんな景色の中で走ってきたのか、それをYouTubeを通して多くの人に伝えたい、そう思った。

しばらくポケットに入っていただけのGoProを取り出す。僕はこの1年間、カメラを持って走ることを数多くしてきたし、最近ではそれが当たり前になっていた。周りの景色やレースの状況を吹き込む。時には他の選手とのコミュニケーション手段にもなった。僕が走る理由はそこにあると気付いた気がした。

この日のレースは後半10kmに山があり、そこまでも深い砂地が続いているというコースだったが、抜きつ抜かれつしていたフランス人男性と「ゴールまで一緒に行こう」とお互いを励まし合い、最後には手を取り合いFinish。3rd STAGEがいかに充実したものだったかを物語るゴールとなった。

ゴール後、上位選手の必携品チェックが行われており、そこに尾藤さんがいた。自然とカメラを回す。「我ながらいいタイミングでゴールしたな」と、一度もゴールシーンを撮るという本来の目的を達せられてないくせに、得意気になってしまうほど、レースを楽しめていた自分がいた。

レース中に見る景色は、どれも想像を遥かに超えてくる

▼4th STAGE(OverNight stage)
■距離:90km 累積D+1,330m
Result:224位/20:16:56

4日目のOverNight stageは90kmで制限時間35時間と、通常のウルトラマラソンの2~3倍長く制限時間が設けられている。そもそもMDSは制限時間に寛容なところがあり、ゴール地点の制限時間も、最終CPを制限時間内に出ていれば、多少過ぎてもOKといった具合だ。その寛大さもこの大会の人気の一つでもあり、高い完走率を維持している理由でもあると思う。

また、この日は3rd STAGEまでの上位50人が他のランナーよりも3時間遅れてスタートとなる。

日本人で上位50位に入っていたのは尾藤さん1人だった。僕はといえば、2nd STAGEでのメンタルブレイクの結果、3rd Stageまでで67位と後一歩及ばなかった。しかし、見方を変えれば3時間先にスタートできるということは、3時間以上タイム差が発生しなければ、先にゴールして尾藤さんのゴールシーンを撮ることができるということである。前日の3rd STAGEで自分らしい走りに気付くことができた僕は、これまでより少しだけ晴れた気持ちでスタートラインに立っていた。

STAGE4序盤の砂漠、先が見えず迷いそうになりながら進んだ

CP4(48.7km)までは、お腹を下しながらも順調に進んできていた。時刻は14時過ぎ、なおも厳しい日差しが照り付けていた。CPで休むか、進むか。次のCP5までは14.6kmと大会一長いコースだ。自分の中に少しでも早くゴールをしたいという欲があったのだろう。休憩もそこそこにCPを後にする。

200mほど進んで気が付く。失敗した。暑い上に、深い砂地のコースが続いた。苦手を気にしないようにという走りはできたものの、この暑さから逃れることはできなかった。次第にふらふらと蛇行しながら歩くようになり、低い草の小さな日陰ですら恋しく、倒れ込むように上半身だけでも…と草陰に入って休んだ。さらに進むと、大きい岩が重なった場所があり、その岩に沿うように横たわり、しばし日差しから逃れた。

このCP4〜5の間、何度もリタイアを考えた。リタイアしたらゴールに先回りするから尾藤さんのゴールシーンを撮れるんじゃないか?という謎の思考まで働いていた。

それでも、ここでやめたら本当に何も残らない。リタイアになった自分を想像したらゾッとした。これから先、ずっと完走できなかったことを後悔して生き続けることになるだろう、とそう思った。そして、完走するための再チャレンジをするだろう、とも。そんな再チャレンジはしたくなかった。ならば、走り切るしかない。

次のCPまで残り5km、現地の人の仮宿なのか民家のような建物が見えてきた。リタイアしたくない思いとは裏腹に、その時点の僕はもう動けない身体になっていた。倒れ込むようにその民家が作る日陰に身を寄せる。ザックをおろし、靴と靴下を脱ぎ、身体に水をかけて冷やす。頭がぼーっとする。熱中症だ。太陽を見るたびに嫌気がさす。

しばらくして、1人の選手が民家の日陰にやって来た。尾藤さんだった。色んな意味で驚いた。3時間のスタート時間の差があったはずが、60km手前で追いつかれることになろうとは。

「リタイアしたらゴールシーンが撮れるかも」と考えていた自分が馬鹿馬鹿しくなった。きっとリタイアしても間に合わなかっただろう。そんなことを思いながら、尾藤さんは少し休みを取り、ハンガーノック対策に食事の準備をして日陰を後にした。

結局僕は、18時までそこで身体を休めることになった。ようやく暮れかけてきた太陽を背に、進み始める。休んだおかげか、多少は動けるようになっていた。

18時を過ぎて、ようやく日が沈み始める

それ以降は辛抱強く進むだけだった。あまり何を考えて走っていたかもわからない。無事にこのOverNight Stageを終える。それだけを考えていたのかもしれない。

ゴールしたのは夜中3時過ぎ。Finishラインは煌々と照らされ、爆音が鳴り響いていた。こんなに長い90kmは後にも先にもないだろう。

●4thSTAGEステージ終了後
4th STAGEの制限時間は35時間。スタートが4月26日の7時のため、ゴール関門時間は4月27日の18時だ。制限時間が近づくにつれ、ゴール付近が騒がしくなっていった。最終ランナーを出迎えるのだ。

先にゴールした選手たちが、次々とテントから出てゴールゲートへと歩いて行った。国や年齢、足の速さも関係ない。同じ道を90km進んできた同志として、讃えあう。先にゴールした選手も、それぞれの苦労があり、足を引き摺りながらも最終ランナーを出迎えにやってくる。

「なんという光景だ」

マラソン・ランニングをやっていて良かった。そう思える瞬間がそこには広がっていた。

OverNightSTAGE、最終ランナーを選手みんなで迎え入れる

▼5th STAGE(Marathon stage)
■距離:42.2km 累積D+560m
Result:25位/4:33:29

今日が実質、最終ステージ。MDSは7日間のステージレースだが、大会記録として計測されるのはこの6日目(5thSTAGE)までの合計タイム。7日目はチャリティステージと言って、レースの順位には関係のないファンランステージだ。

最終ステージで女子3位に着けた尾藤さんはレースに集中する為、自身のGoProを封印すると言った。前回出場時も最終ステージではGoProを封印していて、最終ステージの映像は遠目にぼんやりと映るゴールシーンしかなかった。

となれば、自分が撮らなくてどうする?

「何の為に走るのか」

この日まで僕は自分のために走った結果、一度も満足のいく走りができていなかった。そんな状態で、どこまでついていけるのか、不安しかなかった。それでも「ついていけるところまでついていこう。」本人に伝えることはなかったが、自分の中でそう決めた。

最後の号砲が鳴る。僕は右手にiPhone、左手にGoProを持って、様々なSNSで使えるように撮っておこうと、カメラを回した。無我夢中だった。女子総合3位のペースについて走り、前に後ろに、右に左に、時には離れてみたりして、縦横無尽に撮り回った。そこにはモロッコに着いた日のバスの中で妄想していた「軽快な足取りで無邪気に砂漠を走り回る笑顔の自分」がいた。

YouTubeのサムネイルでも走りながら撮影した写真を使っている

レース終盤、2位の選手の背中が見えてきた。尾藤さんのギアが一段上がる。尾藤さんの強さはこの粘り強さと爆発力だ。これについていかなければいけない。2位の選手を捉え、抜き去る。CP3(33.8km)、尾藤さんの爆速エイドワークに置いていかれる。ゴールまで残り10kmもない。

「ここまできて、諦めるのか?」
「ありえないだろう」

僕自身もレース初日のスタート直後に負けないスピードで追いかけた。

そしてゴール手前約1km、ゴールシーン撮影のために飛び出す。ゴールで大会主催者のPatrickが待っていた。僕自身のゴールはそこそこに、振り向いてカメラを構える。すぐそこまで尾藤さんは来ていた。

ゴール直後、複雑な気持ちだった。最終日こそ役に立てたものの、初日からずっと自分のことで精一杯だった。むしろ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも尾藤さんは「本当にありがとう」そう言ってくれた。今日までの失敗が無くなるわけじゃない、それでもその言葉に大粒の涙が溢れて止まらなかった。

大会公式のSNSでこのシーンが拡散され、多くの友人から感動の声をいただいた

結局、最後まで満足いくゴールシーンの撮影はできなかった。目的は達せられなかった。それでも、得たものはあった。「誰かの為に走る」そこに僕の走る理由があるということ。

5thSTAGEの最中、誰よりも多く周りの選手に声をかけ励まし、カメラを回してきた。「走りながら走る人を撮るって、走る楽しさを伝えたい」それが僕のやりたいことであり、できること。今回、世界3位となった尾藤さんの大会での走りをYouTube用に編集した。好評いただいていて、とても嬉しい。

走る場所・距離・時間、理由も人それぞれだ。みんな何かの為に走っている、僕はそのみんなの為にこれからも走り続けたい。

MDSに向けたシューズ選びは、あまり悩まなかった。MDSの3つの要素からSalomon S/LAB PULSARがすぐに思い浮かんだ。

「マラソン」→「早く走れる」
「砂漠(不整地)」→「グリップが効く」
「7日間走る」→「クッション性」

まず、僕の挑戦でもあった「世界レベルとの闘い」のために、とにかく速く走れるシューズを求めていた。実際、レース中に物理的に脚が重たいと思ったことはなかったし、5thSTAGEでゴール前のスパートをかけることができたのもこのシューズでなければできなかったと思っている。

MDSのコースは、僕が苦手とした深い砂地の他にも、大きな岩のガレ場や、水が干上がったような乾いた大地を走るなど様々なサーフェスを走った。その中でもSalomon S/LAB PULSARのグリップは安心して走っていけると感じさせられた。

最後に、7日間という連日走ることに関しては、そのクッション性が大きなサポートをしてくれた。足裏の痛みや脚そのものが痛むということは一度もなく、それだけにメンタルの面での失速がとても悔やまれるが、最後に一番レースを楽しむことができたのはこのシューズのおかげだった。次またMDSに挑戦する機会があったら、またこのシューズ・シリーズを選ぶだろう。

下の写真にはゲイター(砂漠の砂対策)用にシューズ側面にマジックテープを縫い付けている

FOCUSED ITEM

S/LAB PULSAR 2

記録更新を目指すトップアスリートをイメージした S/LAB PULSAR 2。S/LAB の最新技術とノウハウを駆使したこのモデルは、Matryx® メッシュ、ソックスのようなフィット感、最適なクッション性能を備え、足をやさしく包み込む新しいアッパーとヒール構造を採用。先行モデルに劣らない 183g(27.0cm) の軽さで正確かつダイナミックな走りを可能にします。まるでロードシューズのようなトレイルシューズで、走れるサーフェイスではPULSAR 2、テクニカルな地形ではSGと履き分けることでより特性を活かすことができます(土屋さんが着用しているのはS/LAB PULSARの初代モデル)。


土屋 恒貴 / Koki Tsuchiya

Facebook / Instagram

・尾藤朋美マネージャー / YouTubeクリエイター / ランニングカメラマン

学生時代は球技(野球、バスケットボール、水球、テニス)をしていたが、2015年社会人になるタイミングで1人でできる趣味を求め、トライアスロンを始める。

初のトライアスロン大会でラン5kmが辛過ぎて、ランニングを始める。サブ3を目標にするも、なかなか達成できずウルトラマラソンの道へ。2019年登山に出会い、現在まで日本百名山47座登頂。2022年2月に尾藤朋美と出会い、8月にマネージャーを名乗り始める。10月から尾藤朋美のYouTube撮影、動画編集を担当。

<主な戦績>
2019年6月サロマ湖ウルトラマラソン 09:08:11 PB
2019年8月 木更津トライアスロン 年代別 6位
2022年6月千葉南房総アクアスロン 年代別優勝
2022年8月SPARTAN HAWAII ULTRA 年代別優勝
2022年9月 SPARTAN NIIGATA BEAST 年代別4位
2022年10月 NozawaSpaTrail 4位
2022年10月 SHINSHIRO SPARTANTRAIL CLASSIC 21K 年代別3位
2022年10月 SHINSHIRO SPARTANTRAIL CLASSIC 50mile 4位
2022年11月 白馬岩岳TrailRace Autumn 4位
2022年12月 Beyond 2022 02:52:30 PB
2023年1月 ハイテクハーフマラソン 01:20:39 PB
2023年4月 サハラマラソン(MARATHON DES SABLES)250K 100位
2023年6月 DEEPJAPANULTRA100 100mile 6位

<ランニングカメラマン活動>
2023年1月 赤羽ハーフマラソン(尾藤朋美)
2023年2月 青梅マラソン30K(尾藤朋美)
2023年3月 球磨川リバイバルトレイル100mile(尾藤朋美)
2023年4月 ハセツネ30K(尾藤朋美)
2023年4月 サハラマラソン(MARATHON DES SABLES)250K(尾藤朋美)
2023年6月 SPARTAN MONT-TREMBLANT ULTRA(尾藤朋美)

<YouTube(主な作品 / TOMOMI FITNESS)>

【世界一過酷】砂漠250km走るサハラマラソン!日本人快挙、2大会連続入賞!

【入賞】ハセツネ30K爆走してきました!!

【世界最高峰の障害物競争】スパルタンレース日本選手権エリート準優勝してきました!

【初優勝】170km完全密着!球磨川リバイバルトレイル

【準優勝】赤羽ハーフマラソン目指せ!90分切り

【衝撃】青梅マラソン30km!国際基準タイム達成なるか!?

選手を阻む延暦寺の狭き門

後半はスリッピーなコンディションとなった2023年大会

関西を代表するハードなレース

比叡山インターナショナルトレイルランは滋賀と京都にまたがる比叡山を舞台に開催され、第一回開催の2015年から今回2023年で9年目を迎えます。比叡山は天台宗の開祖である伝教大師最澄がこの地に延暦寺を築いた歴史ある霊峰です。延暦寺境内には根本中堂をはじめ、西塔、横川中堂と有名な建造物が並び、1200年の歴史と伝統が認められてユネスコ世界文化遺産に登録されています。そんな由緒ある比叡山で開催され、関西のトレイルランニングレースを代表するのが、比叡山インターナショナルトレイルランです。

2015年を第1回大会とし当初は50km部門だけの開催でしたが、50km部門に加えて、50mile(80km)、23km部門がそれぞれ加わり、2023年もその3部門で開催されました。私が出場した50mile部門は、比叡山延暦寺根本中堂前をスタートし、京都側に下っていき、比叡アルプスの登りを経ると辿り着くロテルド比叡前から、今度は滋賀県側である大津市坂本に下りて、比叡山高校のグラウンド横の登山ルートから裳立山を登って、根本中堂前に戻ります。これで約20kmの前半コースが終わります。その後、根本中堂前から延暦寺境内を走り、再び京都側に下りて、標高767mの横高山を登って、そのまま比叡山の稜線伝いに北上し、大津市仰木エリアを経て、再度根本中堂前に戻ってきます。ここまでが後半コースで50km地点となります。50km部門はここでゴールですが、50mile部門はここから再度この後半コースをもう一周(横高山の登りは省略)し、合計80kmとなります。

50mile部門は、何といってもその制限時間が厳しい事で有名です。そもそもの参加資格はフルマラソン3時間以内達成者、もしくは100km以上のトレイルランニングレースを完走した経験がある事が条件とされています。そんな選りすぐりのランナー達でも、この厳しい制限時間に苦しみ、大半は完走できずに涙を飲む事になります。50km部門の制限時間は11時間ありますが、50mile部門の制限時間は11時間30分という事で、その厳しさが分かると思います。屈強な猛者でしか挑む事ができず、そのうちの20%程度しか完走する事ができないため、比叡山50mileの完走はトレイルランナーの憧れでもあり、目指すべきレースとなっています。

木段を駆け降りる板垣選手

過去の幻影を求めて

トレイルランニングを始めて本格的なレースに出場したのが比叡山インターナショナルトレイルランの50km部門です。当時の私が経験していた最長距離はロードのフルマラソンであり、50kmも(しかもトレイルで)走る事ができるのかという不安しかなかった事を覚えています。その不安は案の定で、経験したことのないキツさが待ち受けていました。コース上で、最も斜度がきつく、苦しい登りの時間が続く横高山ではフラフラになり、コース終盤の横川中堂への階段(現在はコース変更になっており、通過しない)では足が使いものにならないので、手すりを使ってよじ登った記憶があります。そんな過酷なレースで私より1時間以上も早くゴールしているTOP選手(その年は大杉選手と大瀬選手が同着で優勝)があまりにも異次元で、表彰式に立つ姿があまりにもかっこよく映ったものです。

その翌年も私は50km部門に出場していましたが、その年から創設された50mile部門で優勝した土井選手が9時間そこそこのタイムでゴールしたことも衝撃を受けました。50km完走するのでさえもうこれ以上とても走れないという状態になるのに、そこからさらに30km走ってくるなんて。50kmの自分がゴールして、そんなに時間が経たないうちに、50mileのトップの選手がまもなくゴールを迎えますと会場のアナウンスが。ゴールに向かう土井選手の姿を間近で見る事が出来て、あまりのかっこよさにまたまた衝撃を受けました。

そこから2年後の2019年。比叡山で見たTOP選手に憧れて一生懸命実力を磨いて、様々なレースに出場する事で経験を積み、今度は自分が比叡山50mile部門のチャンピオンとなる事が出来ました。この時の達成感はそれまでに積み重ねてきた努力が実り、生涯忘れ得ぬ経験となりました。そこから、コロナ禍を経て再び開催された2022年の比叡山50mileレース。前回大会のチャンピオンとして招待選手という立場で参戦しました。しかしながら、その1ヶ月前のUTMFの結果が悔しいものに終わり、その時から調子を崩しており、その日も結果は8位。前回チャンピオンというプライドはズタズタにされ、そこから故障もあり、すっかり出口の見えない不調という暗いトンネルに入っていました。ケガも癒えず、やる気も削がれ、TOP選手に憧れて必死に努力し、結果を出した頃からは天と地の差で、いっそ走る事を辞めようと思っていました。

やる気が持てず自信も失っていた頃、こんな自分に声をかけてくれたのがトレイルランを通じてそれまで知り合った方々や、自分を支えてくれているサポートメーカーさんでした。ケガは必ず治るし、調子も戻りますから、続けていきましょうと。苦しい時に声をかけていただいたその方たちを決して裏切る訳にはいかないと心底から思いました。それからは、過去の自分の状態に必ず復活すると心に決めました。その過程で、とても仕上がっているとは言えない状態でレースにも出て、過去の自分と比べても歯痒く悔しい思いもしましたが、それでも一からやり直す気持ちで復調に向けて地道に努力を続けました。そして、再び自分に憧れとチャレンジを与えてくれたこの比叡山の舞台にまた挑むことを決めました。

入賞を狙う選手はエイド滞在時間も短い

挑め、己の限界に

スタートは午前8:50。この日は午後から雨予報ですが、スタート時点は雨雲の気配すらありませんでした。関西及びそれ以外の地域からも集まった128人のランナーが50mileに挑みます。私は完走する事が目標でなく、あくまでも入賞する事が目標でした。この日までに約4ヶ月をかけて身体を作り上げ、過去最低体重にまで絞り上げる事に成功していました。練習量もレース前月は累積獲得標高20,000mの練習を積んでいました。しかし、どれだけ練習してきても、結果を出す自信や入賞してゴールするイメージを失っていたので、スタートして走り出しても不安しかありませんでした。そんな不安を抱えながら取りうる戦略は、50mileを一定ペースで走り続ける事です。

決して周囲のペースに巻き込まれる事なく、50mileという長い距離の中で自分の走りをする事にだけ意識を置いてスタートしました。何のトラブルもなくマイペースだけを意識して、前半コースを終えてのタイムは2:21:32。2019年や前回大会と比較しても、決して早い通過タイムではありません。しかしながらまだ疲労は感じておらず、スムーズに後半コースに移っていきました。この時点での順位は5位。入賞するにはあと2つ順位を上げたいところでした。コース上最も険しいとされる横高山を登っている時に、1つ前の選手を追い越す事に成功しました。またしばらくすると、それまで先頭を走っていた選手が調子を崩していたため、勢いのまま交わして3位になりました。ここまでで25km地点を通過。例年より疲労度は低く感じていました。これはこのまま順位もさらに前へ上げていけるのではないかと自分に期待感が生じて、さらに前を目指していきたい気持ちが湧いてきました。

一旦山を下りてきてロード区間の始まる38km地点で、2位の選手が少し前に見えました。この選手はロードの登りでは歩きを織り交ぜながらの走りだったため、追い抜けるのではないかとこの時感じていました。それから2位の選手に追いついてはエイド滞在中に離されてを繰り返し、ようやくかわせたのは43km地点の延暦寺境内に入ってからでした。2位だった選手はハンガーノック気味だったようです。残すは1位の選手のみですが、その手前40km地点でロードの折り返し区間があるため折り返しで姿を確認すると、折り返し距離の差からタイムは10分少々ビハインドだと推測できました。その時点では残りまだ40kmあるため、逆転不可能な差ではないと感じましたが。すれ違ったその表情や走りにかなり余裕がありそうだとは思いました。しかし、レースではまだまだ何があるか分からないという事で、諦めずに前を追っていこうと思いました。

そして50km部門のフィニッシュ地点を通過し、50mile後半コースの2周目へ。ここから予報通りの雨が降ってきて、路面コンディションが一気に難しくなりました。一周目で難なく下ることができた急斜面のトレイルも雨でドロドロになり、滑り台状態に。50kmの選手で下り渋滞ができていましたが、その横をすり抜けていこうとした結果転倒し、そのままブレーキが効かないまま、急斜面をお尻から滑降することに。幸いにも擦り傷程度で済みましたが、身体中泥まみれになりました。引き続き、前を追う姿勢は見せましたが、通過タイム差を確認するとかなり空いていますとレース関係者から告げられ続けて、そこで内心、優勝を目指すことを諦めてしまいました。そのまま50mileのゴールを2位で迎えましたが、優勝選手とは約30分差でした。優勝選手は折り返し区間でお互いの姿を確認した後さらに加速したと思うと、差は歴然だったと思わざるを得ませんでした。

50mileを2位でフィニッシュ

己の限界に挑めたのか

自分の得意なミドルディスタンスでの復帰戦でしたが、まずは準優勝という結果には納得しています。レース前から自分は速く走れるという自信があった訳ではなかったので、走り方に関しては序盤から攻めない走り方で、終始安定したペースで走る事を意識していましたので、その意味では予定通りの走り方ができたのかなと思っています。同大会は今年で6回目の出走(50mileは4回目)となるため、コースの走り方は熟知しているつもりです。それもあって中々攻めた走りができないのは、やむを得ないとは思いますが、今回はトップの選手を追う場面でも攻めきれていなかったという正直な感想です。

補給面でもジェルを少量(6つ持参し、3つ摂取)ですが、長い登りの前など適度なタイミングで摂取でき、あとはエイドにある素早く食べられるフルーツ等で補い、なるべくタイムロスを減らしつつ、エネルギー切れもせず走れたのかなと思います。ウェアリングも当日の気候に合ったもの(50km以降は雨で体感温度は下がりましたが、半袖で動き続けられた)を身に付けられたと思っています。レースとしては何も失敗する事なく、これまでの経験を踏まえて、万全の準備・姿勢で臨めたと思います。課題としては、優勝した選手や序盤に自分より上位にいた選手のスピードになるべく付いていけるように、スピードとその持続力をこれから出していきたいと思います。

ロードもトレイルもスピーディーに走れるS/LAB PULSAR 2 SG

比叡山インターナショナルトレイルランで活躍したSalomonギア

比叡山インターナショナルトレイルラン50mileに必要なシューズの条件は、レース時間がそこまで長くないため、スピーディな足捌きを最優先とし、加えてウェットな地質からガレたサーフェス及び固いロード面に対応するグリップ力とプロテクション、そしてクッション性が求められると判断しました。また100mileレースではないため、それぞれの機能を万全に備えるとシューズ自体が重くなってしまうため、機能的かつ軽量シューズが求められます。

今回のレースで履いたのはS/LAB PULSAR 2 SGでしたが、重量が片足わずか203g(27.0cm)で、その軽さの恩恵を受けて、足が上がる感覚を最後まで持つ事ができました。またクッション性も適度にあり、ガレた路面でも下からの突き上げもなく、コンクリートなどの固い下り場面でも衝撃を吸収してくれたと思います。終盤は疲れてきて足が重く感じるものですが、少なからずこのシューズの軽さやクッション性によって軽減できたと思います。また足に接触するかかと部分がソフトな仕様になっているため、接触痛もなく、まさにソフトで快適な履き心地でした。

今回は50mile(80km)でしたので、このシューズの恩恵を受けた走りが出来たと思いますが、個人的にはこれ以上の距離で使っていくのはオススメできず、一定の強度を出力し続ける走り方だと長時間の接地衝撃に耐えきれずダメージを負ってしまうのではないかと思いました(ペースや走り方にもよります)。50kmまでの距離でしたら、高強度の走り方でもこのシューズの恩恵を受けられるのではないかという個人的な印象です。


FOCUSED ITEM

S/LAB PULSAR 2 SG

史上最高のレースを目指すトップアスリートをイメージした S/LAB PULSAR 2 SG。S/LAB の最新技術とノウハウを駆使したこのモデルは、軽量で高強度かつ通気性にも優れたMatryx® メッシュと、最適なクッション性能で足をやさしく包み込む新しいアッパーとヒール構造を採用。先行モデルに劣らない軽さで不安定な地面をしっかりつかみ、ダイナミックな走りで加速を続けます。SGは「SOFT GROUND」の略で、通常のPULSARと異なりぬかるんだ柔らかい地面でもしっかりとグリップするパターンとなっています。

SENSE PRO 5 SET

数秒の遅れが勝敗に影響を与えるトレイルランニングでは、快適性と利便性が差をつけます。ミニマルデザインのSENSE PRO 5 は、摩擦が少なくフィット感も抜群。究極の快適性を実現しました。トレイルランニングの必需品を即座に出し入れでき、パフォーマンスの向上をサポートします。付属しているソフトフラスクもスムーズな出し入れを可能にする形状となっており、サロモンのランニングバックパックの中で最もコンペティティブなラインナップなっています。


板垣 渚 / Nagisa Itagaki

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・Salomonアスリート

学生時の代陸上経験はなく、大学卒業前にホノルルマラソンに出場し、走る事の充実感・達成感の素晴らしさに出会う。

30歳を過ぎてトレイルランニングという競技を知り、山の様々な地形を駆け抜ける魅力にどっぷりと浸かる。練習環境は山が主体で、滋賀県大津市の比良山の麓に現在の住居を構え、山とランニングを楽しむ生活を送っている。

<主な戦績>
2019 奥三河パワートレイル 優勝
2019 比叡山ITR50マイル 優勝
2019 峨山道トレイルラン 優勝
2021 LAKEBIWA100 3位
2021 ひろしま恐羅漢エキスパートの部 優勝
2021 TAMBA100 3位
2022 奥三河パワートレイル 優勝
2022 UTMF 41位
2022 比叡山ITR 8位

―そこは夢の墓場

参加者が持ち込んだ各国のナンバープレート

Barkley Marathonsという魔力

誰かの何気ないひと⾔が、その後の⼈⽣に啓⽰のような⼤きな影響を及ぼすことがあります。誰しも、思い当たる節があるのではないでしょうか。⾃分にとってそれは、世界有数の過酷なトレイルランニングのレース「Barkley Marathons」に他なりません。その全容を知れば知るほどに魅了され、⽣涯で 100マイルレースを100本⾛ると決めた⾃分のなかでも特別なレースです(井原選手のポッドキャストでこれまで走ってきた100マイルの軌跡を知ることができます-100miles100times)。

Barkley Marathonsは、テネシー州のフローズンヘッド・ステート・パークのトレイルコースとオフトレイルを使って⾏なわれる100マイルレースです。距離は約45km、累積標⾼は約4500mの周回コースを、制限時間の60時間以内に5周しなければなりません。数字を⾒てわかる通り、100マイル(約160km)を謳いながら実際には200km以上、かつ20000m以上の累積標⾼を⾛る過酷極まりないレースです。ちなみに、60時間以内に5周すれば「フィニッシャー」、40時間以内に3周すれば「ファンランナー」の称号が与えられます。

さらに難易度を⾼めるのは、コースマーキングがないうえに、GPSや⾼度計などの普段のレースでは⽋かせないデジタルギアが使⽤できないというレギュ レーションです。周回中はサポートも受けられません。頼れるのは、地図とコンパス、そして⼰の智慧と経験と⾁体のみ。ルートファインディングしなが ら、周回した証として13〜14地点に隠された本(通称、ブック)を⾒つけ、⾃分のビブナンバーと同じページを破り、スタート/ゴール地点の通称イエローゲートまで持ち帰らないといけません。

また、完⾛者が出るとコースの難易度が増していくというレースディレクターであるラズことラザルス・レイクの“ありがたい”配慮もあり、1986年からの レース史上、2022年時点で完⾛者は15⼈のみ(複数回完⾛した強者を数えても延べ⼈数で18⼈)。過去5年に⾄っては、完⾛者ゼロです。

エントリー⽅法もユニークです。多くは語れませんが、どうにかしてラズの メールアドレスを探し出し、ある⽇のある時刻にレースに出たい想いをしたためたエッセイを送らなければなりません。毎年最⼤で40名しか⾛れないレースに、1000通近くのエントリーがあるといわれます。なぜ多くを語れないのか──。例えば、レースの開催⽇などを事前に公にしてしまったら、⽣涯にわたってBarkley Marathonsを⾛ることができなくなるからです。

レースディレクターのラズと握手を交わす井原選手

365日考え続ける

⾃分は幸いにも2018年、19年、22年、そして今年23年と4回の出⾛が叶っています(21年はコロナ禍の影響で⽶国内の参加者のみで開催)。15名の完⾛者の内訳は⽶国と英国籍のランナーのみ。⽇本のナショナルレコードは、19年に⾃分が3周するまで1周でした(つまり、参加初年度は1周すらできず)。22年はケガもあり2周というのが、⾃分のリザルトです。

Barkley Marathonsを⾛るまではDNF(Did Not Finishの略。途中棄権、リタイアを表す。)をしたことがなかったので、どれだけ完⾛者がいなくても、⾃分なら⾛り切れるのではないかという淡い期待を抱いていましたが、そんなものは無惨にも散りました。出⾛者に保証されているのは失敗のみ。“夢の墓場”といわれる所以です。

⾃分のBarkley Marathonsへの準備は、DNFしたその瞬間から始まります。⽇々のトレーニングはもちろん、帰国してからBarkley Marathonsまでにエントリーするレースも常にそれを意識したものになります。

22年でいえば、彩の国やタイで開催されたDoi Inthanonといった100マイル レース、23年年初の298kmを60時間以内に⾛るHong Kong 4 Trails Ultra Challenge(HK4TUC)は、Barkley Marathonsを仮想してのこと。どのレースやチャレンジにもそれぞれの難しさがありますが、そのなかでさらにターゲットを定めて⾃分を追い込んでいきました。また、仲間にサポートしてもらい地図読みのトレーニングも取り⼊れ、Barkley Marathonsを⾛り切る⼒を蓄えるために出来る限りのことを尽くしていきました。

途中、無理がたたって帯状疱疹になったり、ケガをしたりすることもありましたが、納得のいくトレーニングを積んでいくことができました。もっとできることがあったかもしれないと思うこともあります。

しかし、過去3回⾛ったときに感じた恐怖⼼のようなものは、⼀切なし。そうした境地に辿り着き、3⽉3⽇にテネシー州のフローズンステートパークへと出国しました。レースまで約10日間は試⾛が許されたエリアを⾛り尽くし、地形や “コースになるであろう”ルートの特徴などを⾝体に刻み込みます。コースは前⽇の⼣⽅にマスターマップが配られるまでわかりません。配られたら即座に試⾛で記憶したそれらの情報をマスターマップの情報とあわせて、⾃分のマップに書き写していきます。

“イエローゲート”の前で記念撮影

8:54に法螺貝が鳴る

そうこうしているうちに、前⽇の夜8時。イエローゲートのそばに張ったモンゴルの遊牧⺠が使うゲルのようなテントの中で眠りにつきました。

⽬が覚めたのは、早朝5時過ぎ。⼗分な睡眠は取れているし、遅くとも5時間以内に法螺⾙が吹かれることを考えると、⾝⽀度を始めるにはちょうどいいタイミングでした。ちなみに、法螺⾙が吹かれた1時間後にスタートするというのも、Barkley Marathonsのユニークなルールです。

テント内でゆっくり⾷事をとり、テーピングを巻き始めたころ、法螺⾙の⾳が鳴り響きました。時刻は8:54。1時間後に4回⽬のBarkley Marathonsへの挑戦がスタートします。

昨年のBarkley Marathonsが終わったその⽇から、今⽇という⽇を意識してやれることはやり尽くしました。なにより⾃分には過去3回の“経験”があります。もちろん、ここまでの家族や友⼈、メーカーのサポートのおかげもあって、これ以上にない状態でスタートラインに⽴つことができました。

スタートラインに⽴つと、ラズから時を刻む以外になんの取り柄もなさそうな時計を渡されます。レース中、装備できる唯⼀のデジタル機器。あとは⼰の智慧と経験と⾁体だけが頼りです。

いよいよタバコに⽕がつけられると同時に⼿元の時計が「0:00」を指し、40⼈の“仲間”とともに2023年のBarkley Marathonsがスタート。4周⽬までの周回⽅向は予め決まっていて、時計-反時計-反時計-時計の順に回ります。そして、5周⽬は最初に帰ってきたランナーがどちら回りにするかを決め、その後は到着順に時計-反時計を互い違いに振り分けられていきます。

今年は昨年とコースが同じ。地図を⾒なくても迷わず進んでいける。ブックの隠し場所も昨年と⼤きな違いはなく、むしろ1つ少ない。これ以上にない追い⾵が後押しして、1周⽬は⽬⽴ったトラブルやミスもなく順調すぎるほどに コースを回れ、想定より約15分も早い9時間15分ほどでイエローゲートに帰ってこられました。エイドで15分補給をし、9時間30分で2周⽬へ。

補給中の井原選手

葬送のラッパと2024年

しかし、2周⽬は反時計回りで、かつ夜間。コースの難易度は格段に上がります。また、寒さへの対応も必要になります。コースの中間地点にあるThe Towerと呼ばれる場所に配置されたペットボトルの⽔は、当たり前のように凍ります。こういう時こそ、慎重にならなければならないのに、コースを“熟知”しているという余裕からか、尾根を下るときに⼩さなミスを重ねていってしまいます。⾃分では感じていない焦りがあったのかもしれません。

やがて時間は少しずつついばまれ、3周⽬を終えたのは関⾨の約5分前。⾒かねた別のランナーのサポートたちが⾃分を4周⽬に送り出そうと、インディカーのピットクルーの如く補給⾷や装備を詰め込んでくれ、どうにか23秒前にイエローゲートをあとにすることができました。間⼀髪。

少し冷静になろうと、途中でザックの中を整え、持ち物を確認していくと持つべき補給⾷やギアが⼊っていなかったり、そもそもエイドでとるべき補給が⾜りていなく、まったく前に進めていない⾃分に気づきます。何度か持ち直し、 5周⽬をめざしたものの、そのリアリティが薄れたときに今年のBarkley Marathonsを終えることを決⼼しました。

⽇本から映像を撮りにきてくれた仲間にDNFを伝え、イエローゲートに戻ると鳴り響く「葬送のラッパ」。それは、⾃分の来年のBarkley Marathonsが始まりを告げる合図でもあります。今年は驚くことに完⾛者が3⼈。しかも、フランスとベルギーという、これまでとは異なる国籍。しかし、彼らの実績を⾒れば納得の結果といえるでしょう。来年のBarkley Marathonsまで、あと300⽇と ちょっと。来年の今ごろ、今度は⾃分が向こう側に⽴つために、⻑くも短い1年が始まるのです。

Salomonのトレイルランニングシューズ

Barkley Marathonsで活躍したSalomonギア

今回のBarkley Marathonsで履くシューズの条件は、オフトレイルを進むためのグリップ⼒と超⻑距離を⾛り切れるクッショニングを備えていること。「 S/LAB GENESIS」と「S/LAB ULTRA 3 v2」のコンビネーションは、それらを必要⼗分に満たしてくれました。リニューアルしたS/LAB ULTRA 3 v2は、⾜型はそのままでS/LAB GENESISと同じ⾼強度のMatryx®アッパーに変更され、Barkley Marathonsの過酷さにも耐えうるものでした。また、22年のバックヤードウルトラ以来、愛⽤しているソックス「S/LAB NSO VERSATILITY」は、程よいコンプレッションに加え、ハイソックスらしく寒さや草⽊の擦れから守ってくれる頼もしい相棒でした。


FOCUSED ITEM

S/LAB GENESIS

コンペティションへのこだわりから解放されたシューズ。レース仕様の抜群のグリップと優れた保護力、快適さを備えていますが、自己最高記録よりも共有経験を積み重ね、数値ではなくアドベンチャーとして距離を語れるような、トレイルランニングの新しいアプローチを提案します。S/LAB ULTRA 3 v2に比べクッション性が高く、かかと外側と土踏まず付近に配されたプレートが足のブレを抑えてくれるので、100マイル以上の距離でも頼りになるシューズです(詳細なレビューはこちらの記事で確認できます)。

S/LAB ULTRA 3 v2

S/LAB ULTRA 3 ファンのために、ベストセラーの所以たる快適なフィット感と長距離向けのライド感はそのままに、アッパーを改良して 10% の軽量化を実現。通気性と耐久性の高い新しい Matryx® メッシュがソックスのように心地よくフィットします。ミッドソールのクッション性も相変わらず抜群。Contagrip® アウトソールがどこまでもパワフルな走りをサポートします。あくまで記録に挑戦するS/LABカテゴリーレベルなので固めなフィーリングではありますが、Salomonらしい接地感も残したシューズです。

S/LAB ULTRA KNEE

※S/LAB NSO VERSATILITYに近しいモデルを紹介しております。
ウルトラディスタンスのために開発された S/LAB ULTRA KNEE は、トリガーポイント(〇部分)に Resistex® Bioceramic ファイバーを使用することで微小循環系の働きを高め、エネルギーリターンを向上。軽いコンプレッションで筋肉をサポートし、速乾性に優れた配合で履き心地も快適です。長時間着用しても気にならない、程よい着圧のソックスです。


井原 知一 / Tomokazu Ihara

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・Answer4アスリート / Salomonアスリート

株式会社TOMO’S PIT代表Facebook / Instagram
※オンラインコーチング

Podcast / 100miles100times

2007年当時、身長178cm・体重98kgの肥満体系であったが、ダイエット企画の社員サンプラーとなり毎日30分トレッドミルを走り続けた結果、3ヶ月で7kgの減量に成功。それ以来、走ることがライフスタイルとなりトレイルランニングと出会う。夢は、100マイルを100本完走するとともに走る楽しさを広げていくこと(2022年12月時点で100マイルを64本完走)。