トレイルランニングの原点であり頂点

                                
Ultra Trail Du Montblanc(以下UTMB)という大会は、世界で最もメジャーなトレイルランニングレースである。大会名にモンブランという名を冠するだけあり、フランス・イタリア・スイスの三か国にまたがるモンブランを山伝いに一周(171キロ)するものである。モンブラン最高峰へ登る訳ではないが、それでも累積獲得標高は10,000mを超える。世界屈指の美しい風景と過酷さを併せ持つトレイルランナー憧れの舞台である。

そんなUTMBも2023年開催にて20回目を迎える。今大会からUTMB関連レースのファイナルという位置付けになり、歴代で最も出場者のレベルが高いものとなった。UTMBに出場するためには、UTMB関連レースにてストーンを獲得(現時点では国内には関連レースが存在せず、最低1戦でも海外関連レースに出場し、完走する必要がある)し、抽選で見事当選する事が一般的な出場方法である。他の出場方法としては、その関連レースにて成績上位ならば、無抽選で出場権が与えられる制度があり、私においては、2022年タイで開催されたドイインタノンbyUTMBという大会にて、年代別ランキング上位にて抽選を経ないダイレクトエントリーが可能となり、晴れて2023年のUTMBの出場権を得たのである。

トレイルランニングを始める前から、UTMBというものをTVで目にして以来、こんな競技があって、こんな美しくも過酷な世界がある事を知り、その映像から受けた印象を心の奥底に閉まっていた。今から思えば、導かれるようにトレイルランニングを始める事になり、その時受けた感情は眠り続けていたが、競技を続けていく内に実績も伴い、トレイルランニングにまつわる人間関係も構築され、気が付けばタイのドイインタノンを走っていた。その結果、TVでUTMBを目にして10年は経過していたが、UTMBの舞台に立つことが決定した。トレイルランニングを始める前、あの時何気なくTVを見ていると、たまたま目にしたUTMBが、現実のものになるとは人生は何がきっかけになるか、分からないものである。トレイルランニングをしているならば、いつかはUTMB。心の奥底に閉まっていた感情がいよいよ現実になると、否が応でもワクワクするものであるし、絶対に結果を出してやろうという気持ちになるものである。

初ヨーロッパへの旅立ち


今回の旅路は、関空からソウル・仁川空港とドーハ・ハマド空港の2つの空港を経由し、UTMB開催地であるシャモニーの最寄り空港であるジュネーブ・コアントラン空港に向かうフライトスケジュールとなっている。

8月28日(月)19時40分関西国際空港発チェジュ航空にてソウル・仁川空港へまず向かう。関空のチェジュ航空カウンターにて搭乗手続きを行う。機内預け荷物に関して、仁川空港にて一度ピックアップして、乗り継ぎの際に、再度機内預け入れが必要だが、チェジュ航空からカタール航空は提携しているため、載せ替えておきますと言っていただく。それならばお願いしますと返答する。今思えばこの一言がトラブルの始まりだった。

2時間ほどで仁川空港到着。一度韓国に入国手続きとなり、3時間ほどの乗り継ぎ待ち時間を過ごす。続く経由地のドーハ・ハマド空港へ向かうための搭乗手続きを終え、カタール航空に乗り込む。ソウルからドーハへは7時間ほどの搭乗時間。深夜便になるため、睡眠をとって、翌朝ドーハに到着する。ドーハ・ハマド空港はまさにアラブの空港という感じで空港自体が諸々ゴージャスであった。ここでも3時間ほどの乗り継ぎ待ち。そしてドーハからジュネーブ・コアントラン空港へ6時間ほどの空旅。移動には合計約21時間かけて、8月29日14時20分に予定通り、ジュネーブに到着した。

トラブル発生

ジュネーブ・コアントラン空港にてトラブル発生。関空から預けていた機内荷物をピックアップする際、少々心配していた嫌な予感が的中する。荷物到着コンベアから自分の荷物が待てども一向に出てこない。同じ便でジュネーブ到着した周囲の人々は一人また一人と自分の荷物をピックアップして去っていく。そして最後の一人になり、完全にベルトコンベアが止まった。ロストバゲージである。空港からシャモニーまでの現地バスを15時30分の便で予約していたが、現在15時30分。荷物がない状態ではバスに乗れない。頭が真っ白になる。現地の知人に連絡し、航空会社の荷物トラブルカウンターで相談して下さいと言われ、カタール航空のカウンターへ向かう。英語もまともに話せない状態で相談できるだろうかと不安になる。スタッフの方の話に必死で食らいつき、身振り手振りの英語(というか英単語)で返答する。それでも通じ合えない場合は、翻訳ソフトを使用してもらい、コミュニ―ケーションを取る。こういう場面ではとても便利な世の中になっている。その結果、荷物の存在は確認しているが、どこに今あるかが不明だとの事。もし、ドーハにあれば、翌日に届くが、ソウルにあれば数日かかる可能性があると。前者である事を切に願う。最悪の事態も想定して、大会参加の必携品は手荷物で運ぶべきだった。もし、レースまでに荷物が届かなければ、各アイテムを考えないといけない。途方に暮れたまま、バスカウンターに向かい、事情を説明し、バス便を振り替えてもらい、バスにてシャモニーへ向かった。

身体1つでシャモニー到着

当初の予定ではシャモニー到着は17時頃だったが、前述のトラブルにより、21時の到着となってしまった。初めてのヨーロッパ、うまくいかないものだ。シャモニー到着したのは良いものの、荷物が無いことで着替えやコンタクト・歯ブラシ等の生活用品や自炊のための食料(現地では物価が高いため)も全く手元になかった。標高1,000m以上あるシャモニーの夜は8月末でも冷える。長袖を着ていてもとても肌寒いと感じた。長旅による疲れもあるが、部屋に到着してすぐシャワーがしたいと思い、シャワールームへ向かうものの、一般的なホテルではなく、アパートタイプの宿泊先のため、アメニティが全く無かった。もちろんシャンプー類も用意していたが、機内預け荷物に入れたため、早速不便を感じる事となった。ロストバゲージを相談した現地の知人の方に、同じ宿泊先の日本人の方に事情を伝えているので声をかけてみてくださいと案内していただき、初対面でシャンプーをお借りした。また非常に空腹だったため、レトルトのカレーをいただいた。到着早々、大変お世話になった。

翌朝の8月30日、荷物が届かない事で最低限必要になる身の回り品とパン等の食料を揃えるためスーパーに向かった。やはり現地では物価が高い。これから買う物は全部荷物に一式用意してある事を考えると、悔しい思いを持つ(後日、海外旅行保険の損失補償の対象となるものもあります)。現地での最低限の生活用品は購入するとして、問題はレース参加のための必携競技アイテムをどうするか。途方に暮れたまま、土地勘もなく不慣れなシャモニーの街を一人歩いていた。

救世主現る

UTMBウィークという事でシャモニーの街全体が賑わっていた。その賑わいの反面、途方に暮れたメガネ姿の男が肩を落として一人向かう先もなく歩いていると、街中に知っている顔があった。同じUTMBに出場する吉村健佑選手である(レースでは日本人トップでゴールされた方)。吉村選手とは、2022年末タイのドイインタノンにて食事の際、同じテーブルでお話をさせてもらって以来、SNSを通じて交流があった。吉村選手に事情を伝え、「板垣さんが僕より先にゴールしないように航空会社に手配して、トラブルを仕込んでおいたのですよ」と、とてもユーモア溢れる冗談を言っていただいたおかげと、初めての土地で知っている日本人の知人に会えた事で、沈んでいた気持ちも持ち直す事ができた。吉村選手はさらに、「予備のアイテムが複数あるので良ければお貸しできますよ」と。天からのお告げにも聞こえた。藁にもすがりたい立場としては、これ以上ない有難さであった。吉村選手の滞在先にて、お貸しいただけるアイテム(レインウェア・テーピング・フラスク等々)を貸していただき、レース出場の目途が半分以上立った。シャモニー到着翌日の段階で不足するアイテムは、ウェア・シューズ・ザック・ポール・補給食関係となった。

再び救世主現る

レース前日である8月31日の朝。この時点でもまだ荷物は届かない。前日は吉村選手と会う事ができて、またUTMBで賑わうシャモニーの街を散策できて、有意義な一日となった。この日はエギーユ・デュ・ミディ(以下ミディ)というシャモニーで有名な観光スポットに行きたいと思っていた。ミディにはケーブルカーに乗って標高3,800mに上がってモンブランをはじめとする雪渓が美しい山々の風景が見たかった。しかしながらシャモニーの街でも朝晩は薄い長袖一枚では肌寒いのに、3,800mでは凍えてしまうため、半ばミディ観光を諦めていたが、そこで再びの救世主が。日本からの知人女性の方だった。この方はUTMBに先行して開催されたTDSの完走者である。自身のレースが終わって、しばらくシャモニーに滞在されていたので、私の事情を知り、連絡をいただいた。ミディ観光に行きたいならば、ダウンを貸していただけるとの事で、吉村選手に続き、こちらでもお言葉に甘えさせていただく事に。

標高3,800mミディでは凍えるような世界だったが、雪渓に覆われた急峻な山岳地帯が見事な美しさを表現していた。見る人を感動させる絶景が広がっていたため、心から行って良かったと思える観光地であった。ダウンをお借りできた事が、ミディ観光を含め、朝晩のシャモニーをこの後過ごす上で、大変助かる事になった。この方からは、他にも補給食等(自分で用意していたレース中の補給食も全て荷物に入れていた)をお借しいただき、吉村選手に続き、この旅において大変有難く、心から感謝をお伝えしたい。

三度救世主現る

ミディ観光を終え、満足感に浸りながらシャモニーの街を練り歩く。レースのスタートの目途も立ちつつあり、到着して以後、心から楽しめなかったシャモニーの街も違う景色に映るようになっていた。シャモニーの街を挟むように急峻な山々がそびえ立つ風景がとても美しく、自然と調和の取れた建物が並ぶ街、UTMBで賑わう雰囲気、現地の方含め心暖かい人々の存在でいつの間にかシャモニーの虜になっていた。

そんな事を感じながら、また一人知人の日本人の方にバッタリ出会う。その方はタイ・ドイインタノンに行った際の旅行会社関係の方であった。UTMBを走る事を伝えた上で、今回のトラブルの件を話すと、ポールはお貸しできると思いますと、三たび有難い一言をいただいた。そしてN&Wカーブというイタリア製のポールを貸していただいた。さらに、予備があるとの事でSalomon製のザックまで貸していただける事になった。ザックに関しては、普段から使用しているSalomon製がとても良かったので、大変有難かった。ドイインタノンの際にもお世話になり、今回もお世話になる形で、この方にも頭が上がらない。

待ち望んだ朗報

レース前日の夜も更けてきて、いよいよ明日9月1日はレースである。この時点でまだ荷物が手元に届いておらず、ウェアとシューズは現地ショップにて購入する判断を迫られていた。夕食を食べながら、携帯が鳴った。荷物が空港に届き、これから宿泊先に届けますと。この事件を機にたくさんの方に迷惑をかけてしまった。そして知人の方々の有難さを身に染みて感じていた自分にも朗報であった。ギリギリではあるが、レースに間に合った。お借りしていた必携アイテムも大変ありがたく、感謝しかないものだが、自分が普段から身に着けているアイテムには代え難い。コンタクトも手元に届き、レース前日にして準備は万全になった。

緊張感と高揚感(UTMBスタート)

9月1日のレース当日。スタート時刻は18時。いざスタートして、走り始めて2時間ほどで早くもナイトパートに突入するため、当日の18時までの過ごし方は重要である。

起床時間は午前7時。普段とおり朝食を摂り、改めてコースマップと睨めっこをして、楽にして過ごす。午後0時、昼食を摂り、夕刻に備えて横になって仮眠を取ろうとしても、緊張からか寝つけない。眠れるか眠れないかが重要でなく、睡眠体制を取る事で体が休めていると受験勉強の時に聞いたので、眠れなくても焦ることはしない。私の経験上、大会前日で全く眠れなくても、ベストパフォーマンスを発揮し、優勝できたことがあるため、仮に睡眠が取れなくても不安になる事はしない。

18時が迫る。滞在先の宿からスタート地点までは徒歩で10分程度なので、16時過ぎにスタート地点に向かった。ドロップバックを預けて、スタート地点に向かうとスタート1時間前であるが、既に大勢のランナーがスタートブロック入りしていた。私は幸いにも、158番のゼッケンであるため、100~299番までのELITE2というスタートブロックであり、比較的余裕を持って整列できた。ここで、日本人ランナーで面識のある吉村健佑選手・万場大選手と合流した。

いよいよスタート。「CONQUEST OF PARADISE」というUTMBを象徴する曲が流れ、緊張感と高揚感が押し寄せる。各国から選りすぐりの強豪ランナーたちの中で、その場にいた日本人3人で健闘を誓い合う。音楽もメインパートに来て、選手のテンションも最高潮となり、スタートの号砲が聞こえるでもなく、その時を迎えた。

いきなりの高速展開(START~U2 Saint-Gervais)※Uはエイドを表す

前の選手に続いて流れに身を任せてシャモニーの街を駆けていく。街のメインストリートを一斉に選手が走るため、沿道の声援が物凄い。中には、沿道からビールを配っている人も何人かおられ、海外レースに来たなと感じた瞬間でもあった。スタートの演出から、沿道の盛り上がり方、UTMBという大会がシャモニーに浸透し、これから100mileを走る選手たちの気分を街全体で盛り上げてくれている。

スタートしてしばらく、比較的フラットなロードと林道を走るのだが、周囲のランナーがとても速い。自分よりゼッケン番号が後ろの選手(UTMB-index順にゼッケン番号が決まる)にもドンドン抜かれていく。私もキロ4分30秒~5分で走っているが、これから100mileを走るペースとはとても思えない高速展開であった。

一つ目のエイド(ウォーターエイド)であるU1を特に補給することなく、私含め、ほとんどの選手が通り過ぎる。ここからスキー場の急な登りに入っていく。周囲の選手も一斉にポールを組み立ててカツカツと坂を登っていく、いや、駆け上がっていくという表現か。ここで3~4名ほどの日本人選手に抜かされた。どうも周囲が飛ばしすぎていると感じたため、あくまでもマイペースを貫く。次第に日が暮れていく中で、振り返るとモンブランの白い雪渓が夕日に照らされて、とても美しく雄大な光景が広がっていた。

スキー場のピークを越えて登った分と同じだけ下っていく。周囲の選手は、下りも速く、さすが世界の舞台といった感じである。序盤のここまでで感じた事は、国内の大会ならば、ボリュームゾーンの中で、流れに乗って走っていくという事がほぼ無かったのだが、UTMBでは、まるで自分がボリュームゾーンの中で走っているかと錯覚するくらいのレベルの高さを感じざるを得なかった。

徐々に加速(U2 Saint-Gervais~U8 Courmayeur)

U2もシャモニーと同様、選手を鼓舞するような大きな歓声が送られた。このエイドにて補給を行う。エイドにあったものは、水分については、水・スポーツドリンク・コーラである。食料については、チーズ・サラミ・フランスパン・パワーバーのようなもの・バナナ・オレンジ・スイカ等々である。基本的には、これらは以後どのエイドにもあるベーシックなものであった。ここでは、バナナとスイカ・オレンジを摂取する。スイカが水々しくとても食べやすいと感じたため、エイド事にスイカとオレンジは必ず摂っていた。その他の食べ物については、どれも走りながら食べる事が出来なかったため、チーズやサラミ・フランスパン等のいかにも海外補給食については何一つ摂取出来なかった。そして水分は、スポーツドリンクもあまり口に合わず、エイド毎で一口だけ飲むコーラと、フラスクに入れるのは毎回水ばかりであった。今思えば、補給面で水とほぼ水分であるスイカ・オレンジしか摂取していなかったので、これが失敗だったと思う。

U2ではまだ明るかったが、U3を過ぎるといよいよ暗くなってきてヘッドライトを点灯した。長いナイトパートのはじまりである。街と街を繋ぐ形で暗くなった田舎道を進む。U3を過ぎても前後に選手が連なっているため、国内レースにおいて、山中で感じるような孤独感は全く感じない。街を少し抜けてこれから本格的な山の登りが始まるのだが、その手前、坂道の両脇に若者(実際は分からないがそのエネルギッシュさからそう感じた)を中心とした人々が、通過する選手に対して熱烈な声援を送っていた。その熱烈さはまるで、さながらゴール間際の優勝する選手に送られるような熱い声援だった。夜の暗闇にも関わらず、UTMBで感じた国内にはない衝撃の情景だった。これからの登りを頑張ろうという気分に否が応でもなるが、ここまでのボリュームの声援があると雑多で賑やかすぎると感じた私は純粋な日本人なのだろう。

UTMBのコースはベースの標高が約1,000mであるが、最高地点は約2,500m地点であり、これから進むボンノム峠は最高地点の一つである。この辺りの登りに差し掛かってくると、序盤から飛ばしていった選手を拾っていく事が多く、この先、中間点のU8クールマイユールまで50人は抜かしただろう。ボンノム峠に到達すると、気温が一気に下がるが、幸い風がなく、動き続けてもいるため、雪が足元に現れていたが、寒さまでは感じなかった。

U5に到着。ここで必携品チェックがあった。チェックされた必携品3つ。スマートフォン・長袖パンツ・エマージェンシーシートであった。チェックも問題なく、クリアし、U5を出発する。ここから再び、2,500m地点のフェレ峠まで標高を上げていく。ここでも序盤から前にいた選手をどんどん拾っていく。登り始めはそうでもないが、一定の高度からゴツゴツした足場に変わっていくのが、UTMBコースの特徴でもある。先ほどのボンノム峠と違うのは、ある地点から霧の発生により、視界が悪くなった。そして頂上に近づくにつれ、風がどんどん強くなってきた。良いペースで動き続けてはいるものの、さすがに寒く感じてきた。立ち止まって防寒具を羽織る選手も増えてきた。私はまだ寒さに耐える事ができると判断し、アームスリーブを伸ばす(これまでは手首側に外していた)だけの対応とした。フェレ峠に到着するも、寒くて手の指先の感覚は無くなっていた。このままだと凍傷になりそうで、さすがに耐えられなくなったため、手袋を急いで装着するも感覚がない手では装着にかなり手間取った。少しタイミングが遅かったと小さく反省。その後、スキー場を下ってきて約85キロ地点U8クールマイユールに到着した。

経験した事のない異変(U8 Courmayeur~U12 Champex-Lac) 

U8クールマイユールはサポート可能エイドとなっており、以前出場したタイ・ドイインタノンでお世話になった方々にエイド補助をいただいた。ここでレース中唯一摂取した固形食の即席麺をいただく。お腹を満たされた感じがしたので、そこまで長居することなく、エイドを発する。クールマイユール街中を抜けていく。まだまだ暗かったので、じっくりとは見る事が出来なかったが、イタリア中世の街並みがそのまま現代に残っているようで、とても趣深かった。

街中を抜けて、山に入っていく。ポールをカツカツとここでも順調に登っていく。しばらく登って、標高約1,600m地点で小刻みなアップダウンを繰り返す走れるトレイルに出た。この辺りで走行距離にして100キロ弱。平地・下りは問題なく走れるが、少々の登りになると走ることが厳しくなっていた。ちょうど夜明けをこの辺りで迎える。左を向くとモンブランが真横に見える位置であった。朝方は全体的に雲がかかっていて、その山頂までは拝むことが出来なかった。この辺りのトレイルは道幅が広くなく、ほぼシングルトラックである。ここまで来ると、前後の選手とそう位置が入れ替わる事もなく、巡航に徹するような形である。シングルトラックにも関わらず、数頭の牛がコース上に鎮座していた。恐る恐るその横を通過する。これも海外レースならではの風景である。

少し下ってU10に到着。ここからまた2,500m地点まで登り返すのであるが、ここで早くも足が動かなくなってしまった。足が重くなって動かなくなってしまう事は過去のレースでも度々あるのだが、今回は過去感じた事のない息切れを感じ、登っている最中に何度も立ち止まってしまいたくなるような状態であり、自分でも原因が分からなかった。ここに至るまで、決して飛ばすことなく、一歩一歩大事に進み、下りもポールを使いながら、とにかく終盤に備えて足を残しておこうと意識していたにも関わらず、この状態であったため、ショックが隠し切れなかった。今度は後ろの選手にどんどん抜かされてばかりの展開に。時間をかけ何とか、山頂に到達。ここで無事完走できるのだろうかと最初の疑問を感じてしまう。

ここの山頂からは約10キロ下り箇所が続く。下りは重力に身を任せて、体感的にはかなり遅いが何とか走っていく事が出来た。その後、スイスの風光明媚な集落間を走る。基本的には下り基調で進むが、時折平地ロード箇所が出てくる。平地でさえ、時折走れなくなった。

その時、体調の異変に気付いた。どうも気持ち悪く、吐き気がする。しばらく水分しか摂取できておらず、ついには水も気持ち悪さから飲めなくなってしまっている。そんな状態で、シャンペ湖エイド手前の登り箇所に入るが、案の定全く登る事が出来ず、ついにはトレイルの脇に横たわってしまうまでになっていた。尋常ではない息の切れ方と強烈な吐き気。通過する選手を見送りながらも10分程度は横たわらざるを得なかった。残り距離と3つの山を越えるコース設定から完走できる自信もこの時喪失した。少し横になれば回復するかと思いきや、そんな事もなく。時間をかけて登り終えて、U12シャンペ湖エイドに辛うじて到着した。

シャンペ湖の葛藤(U12 Champex-Lac~U13Trient)

ここまで約120キロ。残り約50キロ。サポートエイドでもあるU12シャンペ湖に到着し、レースを辞めるかどうか考えざるを得ない状況であるが、少し休憩し様子を見ることにした。サポート食として味噌汁をいただくも、一口飲んでみて、体が受け付けなかった。食べられたとしても相変わらずスイカのみ。吐き気の気持ち悪さから少しベンチで横になってみるも回復はせず。ここで辞めてしまうか、途中で動けなくなるかもしれないが先を進むか。まだ回復する可能性に賭けてみたい為、この時、後者を必然的に選択した。

エイドを出てシャンペ湖を眺めながら進む。通常の状態なら、気持ちよく走れる湖畔の道であるが、トボトボと歩きだす。体調不良が回復する事を祈りながら。林道を進み、700m上昇する山の取り付けへ到着。ここからが地獄であった。道中、登る斜度が急になると途端に激しい息切れを起こし、吐きそうになる。ここでも脇に逸れてしばらく横たわる。この調子では進む事が難しく、相当時間もかかり、メンタル的にも厳しくなってきた。15分ほど動けずにいたが、再び登り始める。かなり時間がかかったが、何とかピークに到達し、登ってきた同じだけ下る。もはや下りでも走れる力もなかった。

登り下りとも大量に時間を要しながらも、U13トリエンに到着した。距離は進まずに、レース時間もどんどん経過していき、2日目の夜が目前に迫っていた。エイドの外で座り込んでいると、スタッフの方が大丈夫かと声をかけてくれて、体調が優れず休んでいて、横になりたい事を伝えると、救護室へ案内してくれた。ここで1時間仮眠を取る事にした。1時間経過して立ち上がった瞬間に強烈な吐き気が押し寄せ、ここで心が完全に折れてしまった。あと2つの山を越えられる自信が全くなく、ナイトパートで動きが緩慢な状態で、フェレ峠の時のような寒さと強風が吹き荒めば、危険が伴うと判断し、レースを終える事を決断せざるを得なかった。モンブランを取り巻く山の果てしなく高い壁を感じた。

レースを終える事を決めた後も救護室で横たわっていると、スタッフの方からこれから次のエイドまで救急車にて搬送しますと声をかけられ、隣のヴァロルシンというエイドの医療スタッフの充実している救護室に案内された。9月3日深夜2時。シャモニーまでの送迎バスに乗り、無念の帰着となった。

無常だった現実、そして次の舞台へ

憧れだったUTMBの舞台も145キロ地点で自らリタイアしてしまった一方で、シャモニーに戻ると歩けるまでに体調が回復した安堵感が複雑に交錯する夜となった。これまでどんなレースでもリタイアした経験が無かっただけにこの大舞台でのまさかで、受け入れ難い事実である。トレイルランを始めた頃から心のどこかで思い描いていたUTMBという華やかな舞台でフィニッシュゲートをくぐれないなんて。次第に悔しさが押し寄せる。時間を戻せるならば、スタート前に戻りたいと後悔の念があるものの、結局戻れたとしても結果は決まっていたのであろう。トレイルランの経験を積んで、自信を持って挑んだ憧れの舞台から「お前はまだまだだ、出直して来い」と大きな宿題をもらった。周囲の方々にも期待を持って送り出してもらった事もあり、せめてのフィニッシュゲートに辿り着けなかった事が申し訳なく感じている。決して簡単ではない100mileレースを改めて認識し、今回見直すべきところを徹底的に見直し、レース中に関する事だけでなく、レースに至るまでの準備に関しても、とりわけアイテム一つ一つにしても、余念なく丁寧に準備していきたい。そして再びこのUTMBの舞台で納得のいく走りができるように邁進する。

SALOMON SELECT ITEM

今回選択したシューズはS/LAB GENESIS。超長距離に向いたシューズで、特徴は優れたグリップ力・足へのプロテクションとクッショニング性。UTMBのコースは日本の山とは違い、ウェットな林道箇所もあったが、大部分はドライでゴツゴツした岩や土質のサーフェスが多い。このシューズのアウトソールには箇所によって異なったラグパターンが配置されており、そんなゴツゴツした岩のような局面にも安定して接地できるグリップを可能としている。また山のアップダウンに関しても、小刻みな登り下りではなく、連続した長い登りや長い下りが続く。少しでも足にダメージを蓄積しないように、いかに足元を保護するかが重要である。そこでこのシューズの持つプロテクションやクッショニング性が非常に有効である。また超長距離になると、疲労による体幹のブレから着地の際の足元が不安定になるが、シューズ側面に搭載されている左右プレートにより、着足の補正を可能として安定感を付加してくれるものである。またコース最高地点は2,500mを超えているため、雪が残っている箇所もあり、シューズが濡れてしまう場面も多々あったが、シューズの持つ速乾性により水捌けも良く、終始足元はノートラブルで進むことができた。実際に出場していた欧米選手の足元を見ても、このシューズをセレクトしている選手が多かった。 


FOCUSED ITEM

S/LAB GENESIS

S/LAB GENESIS は、コンペティションへのこだわりから解放されたシューズ。レース仕様の抜群のグリップと優れた保護力、快適さを備えていますが、自己最高記録よりも共有経験を積み重ね、数値ではなくアドベンチャーとして距離を語れるような、トレイルランニングの新しいアプローチを提案します。


板垣 渚 / Nagisa Itagaki

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・Salomonアスリート

学生時の代陸上経験はなく、大学卒業前にホノルルマラソンに出場し、走る事の充実感・達成感の素晴らしさに出会う。

30歳を過ぎてトレイルランニングという競技を知り、山の様々な地形を駆け抜ける魅力にどっぷりと浸かる。練習環境は山が主体で、滋賀県大津市の比良山の麓に現在の住居を構え、山とランニングを楽しむ生活を送っている。

<主な戦績>
2019 奥三河パワートレイル 優勝
2019 比叡山ITR50マイル 優勝
2019 峨山道トレイルラン 優勝
2021 LAKEBIWA100 3位
2021 ひろしま恐羅漢エキスパートの部 優勝
2021 TAMBA100 3位
2022 奥三河パワートレイル 優勝
2022 UTMF 41位
2022 比叡山ITR 8位