何の為に走るのか~サハラ砂漠を250km走るマラソン~
「最強のマネージャーになります!」そう言って、尾藤朋美さんの付き人のようなことを始めたことがきっかけだった。尾藤さんは、2021年のサハラマラソンで、初挑戦にして日本人最高順位「準優勝」を記録。現在【世界一を目指すウルトラランナー】として活躍している。【最強のマネージャー】とは、そんな世界一を目指す尾藤さんを支えるマネージャーになるからには、マネージャーとして世界一、つまり最強でなければならない、という中学生のような安易な考えとネーミングで名乗り始めた。
今回、サハラマラソンに挑戦しようと思った理由は「尾藤さんが世界一を目指す舞台であるサハラマラソンを走ったことが無いままで【最強のマネージャー】を名乗ることができるのか?」「否。」と使命感に駆られ、出場を決めた。また、僕は尾藤さんのYouTubeチャンネルやInstagramの動画撮影・編集をしているのだが、その中で尾藤さんが2020年大会の動画を振り返り「もっと綺麗なゴールシーンが欲しい」と言っていた。そして「つっちー(筆者)が出るなら、先にゴールしてゴールシーンを撮ってもらえるね」と言った。それはそのまま僕がサハラマラソンを走る理由の一つになった。
サハラマラソンとは
サハラマラソン(正式名称:Marathon des Sables、略称:MDS)とは、1週間(全6ステージ)でモロッコのサハラ砂漠を250km走るステージレースだ。
開催時期は例年4月の一週間。開催場所はモロッコのサハラ砂漠だが、コースは毎年変わる。参加者は毎年1,000〜1,300人。参加のための条件はほとんどない。そして、完走率は例年90%を超える。
サハラ砂漠の気温は日中40℃、夜中は10℃。レース中に与えられるものは「水」だけ。それ以外の一週間分の食事や服、寝袋、その他必要な物は全て自分で背負って走る。寝床は砂漠の上に「黒い布のタープ」に「絨毯」という吹きさらしのテント。当然、風呂やシャワーはない、トイレも袋か野に放つ。スマートフォンの電波もほぼ繋がらない。どれをとっても、日本での日常からは想像できない環境だ。
それに加えて、出場のためのエントリーフィーは3770€(約55万円)ときた。国内のレースのエントリーフィーが可愛く感じてくる。過酷な環境に、大枚を叩いて走りに行く。その先にどんな物語が待っているのか、僕の体験談を書いていく。
いざ、サハラ
2023年4月21日
大会の集合場所は、モロッコ・エルラシディア空港。集合方法は2つ。
① 現地集合
② フランスのシャルル・ド・ゴール空港に集合し、チャーター機でモロッコへ
②を選択した僕は、朝4時に空港へ向かった。空港にいるのは全員、サハラマラソン(以下、MDS)の参加者や関係者だ。息が白く染まるフランスを飛び立ち、モロッコを目指す。
約3時間、飛行機の窓から砂の大地が見えてくる。眩しい。そして美しかった。砂漠を初めて見て「こんなところを走ることができるのか」とワクワクしていた。空港に到着すると、モロッコのミントティーが出迎えてくれた。熱くて甘いなんとも言えない美味しさだった。そこからさらにバスで3時間かけて大会会場へ向かう。モロッコの街並みや自然を眺めながら進んでいく。
途中でレースのガイドブックが配布される。この時初めて、選手にレースの各ステージの距離や制限時間、コースが明かされる。レースは全部で5ステージ、4ステージ目に90kmのオーバーナイトステージと呼ばれる制限時間35時間のロングステージが用意されていた。その他のステージは30〜40km、制限時間10〜12時間となっていた。砂漠を走る自分をイメージする。そこには、軽快な足取りで無邪気に砂漠を走り回る笑顔の自分がいた。
レース前日・受付
2023年4月22日
「思ったより眠れた」
砂漠で初めての夜を過ごしてそう思った。夕方に砂嵐が来て、テントが潰れたり、身体中が砂まみれになったりとサハラ砂漠の洗礼を受けて疲れてしまっていたのだろう。レース当日までの食事は大会側が支給してくれる。前日のこの日も朝昼晩と食事が提供された。
朝食が済むと、レースの受付が開始された。エリートランナーは食事を含めた必携品の全チェック、ドーピング検査など入念なチェックが行われたが、一般ランナーはパスポート、200€、テクニカルシート(必携品のセルフチェックシート)の3点と荷物の重量チェック(水を抜いて6.5kg以上あること)のみでレースBIBを渡された。
夕食後、各々寝袋に入る。心許ない天井を見つめながら、まるで修学旅行の夜のように、テントメイトと語り合う。MDSに出ようと思ったきっかけや、これまでの人生と、これからのこと。ここには色んな背景や想いを持った人が来ている。ほとんど初対面の人達と酒も飲まず、川の字になって話をするのは少し可笑しくで、でもとても大切な時間だった。
レーススタート
2023年4月23日
▼1st STAGE
■距離:36km 累積D+510m
Result:56位/4:21:03
レーススタートのこの日から一週間、自分の持ってきた食料だけで過ごしていく。僕が用意した主食は【サハラ飯】と焼きそば。【サハラ飯】とは、山飯シェフゆかさんがオーダーメイドで作ってくれた、軽くて高カロリーなトレイルフードだ。初日の朝は、ビーフシチューリゾット。水を入れて10分放置、サハラ砂漠の暑さも手伝って、たったそれだけで本格的なビーフシチューがいただける。砂漠しかないこの環境でこんなに美味しい食事ができるなんて、と初日から感動していた。
スタート前、緊張感のある中、MCが始まる。サハラマラソンでは、各ステージ前にコースの紹介と注意事項、当日の変更点がアナウンスされる。続いて、その日のバースデーレーサーを紹介する。不思議な風習だ。
気がつけば時刻は定刻の8:30を過ぎている。細かいことは気にしない。
「3・2・1・GO!」
スタートと同時に飛び出す。世界レベルのレースを体感したい、自分がどこまで通用するのか試したい。出るからにはと、そんな思いも持ってやってきた。
レース序盤、10連覇を狙う絶対王者ラシッドよりも前を走る。オーバーペースか?と思うも、ここは砂漠。自分のこれまでのランニングの常識では測れない。行けるところまで行くと決め、押していく。世界トップレベルの走りを肌で感じた。高鳴る心臓の音が聞こえてくるようだった。
⑥初日スタート直後の写真「エリートの中で走る貴重な一枚」
CP1(13km)を過ぎて、砂が深くなっていった。ここまでのように踏み込んで走ろうとしても、脚が返ってこない。砂漠の深い砂の前で、反発は無力だった。ムキになって強く脚を踏み込むほど、その力は砂に吸収されていく。踏み込む力と一緒に気力まで吸い込まれていくようなそんな気分だった。
17kmを過ぎて、完全に足が止まった。思うように走れない、もどかしかった。レース前、妄想の中で砂漠を無邪気に走り回っていた僕は、そこにはいなかった。そして、尾藤さんにも追いつかれた。抜かされても追いかけることができなかった。それだけ気力が落ちていた。
「何の為に走るのか」
CP2(24.6km)地点のテントに腰を下ろす。深呼吸をして少し冷静になる。
「ゴールシーンを撮る」
僕の走る理由はそこにあった。尾藤さんの後ろにいては、それは叶わない。再び走り出す。しかし初日はついにゴールシーンを撮ることはできなかった。
「何の為に走るのか」
頭の中はそれでいっぱいだった。
●ステージ終了後の生活
ゴール後はテントに戻って、翌朝まで過ごす。別の場所に来たはずなのに、砂と山に囲まれたその景色は同じ場所に戻ってきたように感じさせる。
寝るまでにやることは、
① 洗濯
② シャワー
③ 食事
このくらいしかない。
洗濯は、トイレ用のゴミ袋に洗濯物と支給された水を入れて、揉み洗いをする。そんなに綺麗になっているわけではないと思うが、サハラ砂漠の暑さの中で干しておけば臭いは気にならなくなる。
シャワーはない。ので、自分で作る。支給されるペットボトルのフタに安全ピンで穴を開け、少量ずつ使えるように工夫をする。汗だくで砂まみれの身体を少しでも洗い流す。身体と心が少しリセットされる、そんな気がした。
食事は【サハラ飯】。夕飯にはチキンカレーを食べた。夕飯の時間は17時くらい、カレーのスパイシーな香りが食欲をそそる。
寝るのはだいたい20時前後、暗くなるとヘッドライトなしでは動けなくなる。自然と早寝になる。翌日以降もレースは続く、睡眠が最大の回復薬だ。
▼2nd STAGE
■距離:31.7km 累積D+760m
Result:113位/5:03:47
1st STAGEの反省を活かして、序盤はペースを落として走ろうと決める。しかし、ひとたび深い砂地に脚を踏み入れると、砂に気力を吸収されてしまう。そうなると最後、脚が止まる。
「砂漠が向いてないんじゃないか」
そんな言い訳で自分を誤魔化そうとする。
●2ndSTAGEステージ終了後
「何のために走りにきたのか」
それを見失った僕はテントの中、静かに横になっていた。ぐるぐると思考が巡る。
世界レベルでの闘い
ゴールシーンの撮影
このままでは何一つできないまま終わってしまうのではないか。サハラに行って、走って完走して、ただそれだけ。確かに走る前は「『所詮』マラソンでしょ?」と。1日3〜40kmパーっと走って終わるんじゃないか?と舐め切っていた。
現実はどうか。
世界の強さに打ちのめされ、砂漠をただ走ったり歩いたり、当然ゴールシーンも撮れない。
真っ黒な天井を突き抜けてくる日差しに嫌気が差しながら、レース前日の夜を思い出していた。テントメイトの1人が言っていた「人生を豊かに生きるには荷物を整理して余白を作る」ことが大事だと。僕も人生には「余裕」が大切だと常に思っていた。しかし、現状「余白」も「余裕」のどちらもなかった。「しなければならない」ことでいっぱいだった。
一つ大きく深呼吸をする。真っ黒な天井しか見えていなかった視界が少しだけ広がった気がした。
レース後の楽しみの一つに、【メッセージ】があった。MDSのWebサイトからレース期間中、選手宛にメッセージを送ることができるのだ。家族や友人、色んな人がメッセージをくれた。レースの状況を見てくれていた人たちからは、心配する声もあった。
情けない。
毎晩みんなからのメッセージで涙が止まらなかった。
振り返ると僕は水の貴重な砂漠の中で、レース中もゴール後も涙ばかり流していた。涙で滲んだメッセージを見ながら「明日も頑張ろう」そう思った。
▼3rd STAGE
■距離:34.4km 累積D+590m
Result:45位/4:19:49
「やりたいこと」の為に走ろう。「しなければならない」なんてことは無いのだ。僕の気力を奪い続けた深い砂地も、苦手なら無理して走る必要はない。苦手なことを受け入れて、諦めることも大切だ。
今、僕の「やりたいこと」は何か。マネージャーとして尾藤さんの役に立ちたい。そう思った時に今、僕にできることは、尾藤さんのYouTube用の素材集めだった。ゴールシーンだけがレースの様子ではない。どんなコース、どんな景色の中で走ってきたのか、それをYouTubeを通して多くの人に伝えたい、そう思った。
しばらくポケットに入っていただけのGoProを取り出す。僕はこの1年間、カメラを持って走ることを数多くしてきたし、最近ではそれが当たり前になっていた。周りの景色やレースの状況を吹き込む。時には他の選手とのコミュニケーション手段にもなった。僕が走る理由はそこにあると気付いた気がした。
この日のレースは後半10kmに山があり、そこまでも深い砂地が続いているというコースだったが、抜きつ抜かれつしていたフランス人男性と「ゴールまで一緒に行こう」とお互いを励まし合い、最後には手を取り合いFinish。3rd STAGEがいかに充実したものだったかを物語るゴールとなった。
ゴール後、上位選手の必携品チェックが行われており、そこに尾藤さんがいた。自然とカメラを回す。「我ながらいいタイミングでゴールしたな」と、一度もゴールシーンを撮るという本来の目的を達せられてないくせに、得意気になってしまうほど、レースを楽しめていた自分がいた。
▼4th STAGE(OverNight stage)
■距離:90km 累積D+1,330m
Result:224位/20:16:56
4日目のOverNight stageは90kmで制限時間35時間と、通常のウルトラマラソンの2~3倍長く制限時間が設けられている。そもそもMDSは制限時間に寛容なところがあり、ゴール地点の制限時間も、最終CPを制限時間内に出ていれば、多少過ぎてもOKといった具合だ。その寛大さもこの大会の人気の一つでもあり、高い完走率を維持している理由でもあると思う。
また、この日は3rd STAGEまでの上位50人が他のランナーよりも3時間遅れてスタートとなる。
日本人で上位50位に入っていたのは尾藤さん1人だった。僕はといえば、2nd STAGEでのメンタルブレイクの結果、3rd Stageまでで67位と後一歩及ばなかった。しかし、見方を変えれば3時間先にスタートできるということは、3時間以上タイム差が発生しなければ、先にゴールして尾藤さんのゴールシーンを撮ることができるということである。前日の3rd STAGEで自分らしい走りに気付くことができた僕は、これまでより少しだけ晴れた気持ちでスタートラインに立っていた。
CP4(48.7km)までは、お腹を下しながらも順調に進んできていた。時刻は14時過ぎ、なおも厳しい日差しが照り付けていた。CPで休むか、進むか。次のCP5までは14.6kmと大会一長いコースだ。自分の中に少しでも早くゴールをしたいという欲があったのだろう。休憩もそこそこにCPを後にする。
200mほど進んで気が付く。失敗した。暑い上に、深い砂地のコースが続いた。苦手を気にしないようにという走りはできたものの、この暑さから逃れることはできなかった。次第にふらふらと蛇行しながら歩くようになり、低い草の小さな日陰ですら恋しく、倒れ込むように上半身だけでも…と草陰に入って休んだ。さらに進むと、大きい岩が重なった場所があり、その岩に沿うように横たわり、しばし日差しから逃れた。
このCP4〜5の間、何度もリタイアを考えた。リタイアしたらゴールに先回りするから尾藤さんのゴールシーンを撮れるんじゃないか?という謎の思考まで働いていた。
それでも、ここでやめたら本当に何も残らない。リタイアになった自分を想像したらゾッとした。これから先、ずっと完走できなかったことを後悔して生き続けることになるだろう、とそう思った。そして、完走するための再チャレンジをするだろう、とも。そんな再チャレンジはしたくなかった。ならば、走り切るしかない。
次のCPまで残り5km、現地の人の仮宿なのか民家のような建物が見えてきた。リタイアしたくない思いとは裏腹に、その時点の僕はもう動けない身体になっていた。倒れ込むようにその民家が作る日陰に身を寄せる。ザックをおろし、靴と靴下を脱ぎ、身体に水をかけて冷やす。頭がぼーっとする。熱中症だ。太陽を見るたびに嫌気がさす。
しばらくして、1人の選手が民家の日陰にやって来た。尾藤さんだった。色んな意味で驚いた。3時間のスタート時間の差があったはずが、60km手前で追いつかれることになろうとは。
「リタイアしたらゴールシーンが撮れるかも」と考えていた自分が馬鹿馬鹿しくなった。きっとリタイアしても間に合わなかっただろう。そんなことを思いながら、尾藤さんは少し休みを取り、ハンガーノック対策に食事の準備をして日陰を後にした。
結局僕は、18時までそこで身体を休めることになった。ようやく暮れかけてきた太陽を背に、進み始める。休んだおかげか、多少は動けるようになっていた。
それ以降は辛抱強く進むだけだった。あまり何を考えて走っていたかもわからない。無事にこのOverNight Stageを終える。それだけを考えていたのかもしれない。
ゴールしたのは夜中3時過ぎ。Finishラインは煌々と照らされ、爆音が鳴り響いていた。こんなに長い90kmは後にも先にもないだろう。
●4thSTAGEステージ終了後
4th STAGEの制限時間は35時間。スタートが4月26日の7時のため、ゴール関門時間は4月27日の18時だ。制限時間が近づくにつれ、ゴール付近が騒がしくなっていった。最終ランナーを出迎えるのだ。
先にゴールした選手たちが、次々とテントから出てゴールゲートへと歩いて行った。国や年齢、足の速さも関係ない。同じ道を90km進んできた同志として、讃えあう。先にゴールした選手も、それぞれの苦労があり、足を引き摺りながらも最終ランナーを出迎えにやってくる。
「なんという光景だ」
マラソン・ランニングをやっていて良かった。そう思える瞬間がそこには広がっていた。
▼5th STAGE(Marathon stage)
■距離:42.2km 累積D+560m
Result:25位/4:33:29
今日が実質、最終ステージ。MDSは7日間のステージレースだが、大会記録として計測されるのはこの6日目(5thSTAGE)までの合計タイム。7日目はチャリティステージと言って、レースの順位には関係のないファンランステージだ。
最終ステージで女子3位に着けた尾藤さんはレースに集中する為、自身のGoProを封印すると言った。前回出場時も最終ステージではGoProを封印していて、最終ステージの映像は遠目にぼんやりと映るゴールシーンしかなかった。
となれば、自分が撮らなくてどうする?
「何の為に走るのか」
この日まで僕は自分のために走った結果、一度も満足のいく走りができていなかった。そんな状態で、どこまでついていけるのか、不安しかなかった。それでも「ついていけるところまでついていこう。」本人に伝えることはなかったが、自分の中でそう決めた。
最後の号砲が鳴る。僕は右手にiPhone、左手にGoProを持って、様々なSNSで使えるように撮っておこうと、カメラを回した。無我夢中だった。女子総合3位のペースについて走り、前に後ろに、右に左に、時には離れてみたりして、縦横無尽に撮り回った。そこにはモロッコに着いた日のバスの中で妄想していた「軽快な足取りで無邪気に砂漠を走り回る笑顔の自分」がいた。
レース終盤、2位の選手の背中が見えてきた。尾藤さんのギアが一段上がる。尾藤さんの強さはこの粘り強さと爆発力だ。これについていかなければいけない。2位の選手を捉え、抜き去る。CP3(33.8km)、尾藤さんの爆速エイドワークに置いていかれる。ゴールまで残り10kmもない。
「ここまできて、諦めるのか?」
「ありえないだろう」
僕自身もレース初日のスタート直後に負けないスピードで追いかけた。
そしてゴール手前約1km、ゴールシーン撮影のために飛び出す。ゴールで大会主催者のPatrickが待っていた。僕自身のゴールはそこそこに、振り向いてカメラを構える。すぐそこまで尾藤さんは来ていた。
ゴール直後、複雑な気持ちだった。最終日こそ役に立てたものの、初日からずっと自分のことで精一杯だった。むしろ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも尾藤さんは「本当にありがとう」そう言ってくれた。今日までの失敗が無くなるわけじゃない、それでもその言葉に大粒の涙が溢れて止まらなかった。
結局、最後まで満足いくゴールシーンの撮影はできなかった。目的は達せられなかった。それでも、得たものはあった。「誰かの為に走る」そこに僕の走る理由があるということ。
5thSTAGEの最中、誰よりも多く周りの選手に声をかけ励まし、カメラを回してきた。「走りながら走る人を撮るって、走る楽しさを伝えたい」それが僕のやりたいことであり、できること。今回、世界3位となった尾藤さんの大会での走りをYouTube用に編集した。好評いただいていて、とても嬉しい。
走る場所・距離・時間、理由も人それぞれだ。みんな何かの為に走っている、僕はそのみんなの為にこれからも走り続けたい。
MDSに向けたシューズ選びは、あまり悩まなかった。MDSの3つの要素からSalomon S/LAB PULSARがすぐに思い浮かんだ。
「マラソン」→「早く走れる」
「砂漠(不整地)」→「グリップが効く」
「7日間走る」→「クッション性」
まず、僕の挑戦でもあった「世界レベルとの闘い」のために、とにかく速く走れるシューズを求めていた。実際、レース中に物理的に脚が重たいと思ったことはなかったし、5thSTAGEでゴール前のスパートをかけることができたのもこのシューズでなければできなかったと思っている。
MDSのコースは、僕が苦手とした深い砂地の他にも、大きな岩のガレ場や、水が干上がったような乾いた大地を走るなど様々なサーフェスを走った。その中でもSalomon S/LAB PULSARのグリップは安心して走っていけると感じさせられた。
最後に、7日間という連日走ることに関しては、そのクッション性が大きなサポートをしてくれた。足裏の痛みや脚そのものが痛むということは一度もなく、それだけにメンタルの面での失速がとても悔やまれるが、最後に一番レースを楽しむことができたのはこのシューズのおかげだった。次またMDSに挑戦する機会があったら、またこのシューズ・シリーズを選ぶだろう。
FOCUSED ITEM
S/LAB PULSAR 2
記録更新を目指すトップアスリートをイメージした S/LAB PULSAR 2。S/LAB の最新技術とノウハウを駆使したこのモデルは、Matryx® メッシュ、ソックスのようなフィット感、最適なクッション性能を備え、足をやさしく包み込む新しいアッパーとヒール構造を採用。先行モデルに劣らない 183g(27.0cm) の軽さで正確かつダイナミックな走りを可能にします。まるでロードシューズのようなトレイルシューズで、走れるサーフェイスではPULSAR 2、テクニカルな地形ではSGと履き分けることでより特性を活かすことができます(土屋さんが着用しているのはS/LAB PULSARの初代モデル)。
土屋 恒貴 / Koki Tsuchiya
・尾藤朋美マネージャー / YouTubeクリエイター / ランニングカメラマン
学生時代は球技(野球、バスケットボール、水球、テニス)をしていたが、2015年社会人になるタイミングで1人でできる趣味を求め、トライアスロンを始める。
初のトライアスロン大会でラン5kmが辛過ぎて、ランニングを始める。サブ3を目標にするも、なかなか達成できずウルトラマラソンの道へ。2019年登山に出会い、現在まで日本百名山47座登頂。2022年2月に尾藤朋美と出会い、8月にマネージャーを名乗り始める。10月から尾藤朋美のYouTube撮影、動画編集を担当。
<主な戦績>
2019年6月サロマ湖ウルトラマラソン 09:08:11 PB
2019年8月 木更津トライアスロン 年代別 6位
2022年6月千葉南房総アクアスロン 年代別優勝
2022年8月SPARTAN HAWAII ULTRA 年代別優勝
2022年9月 SPARTAN NIIGATA BEAST 年代別4位
2022年10月 NozawaSpaTrail 4位
2022年10月 SHINSHIRO SPARTANTRAIL CLASSIC 21K 年代別3位
2022年10月 SHINSHIRO SPARTANTRAIL CLASSIC 50mile 4位
2022年11月 白馬岩岳TrailRace Autumn 4位
2022年12月 Beyond 2022 02:52:30 PB
2023年1月 ハイテクハーフマラソン 01:20:39 PB
2023年4月 サハラマラソン(MARATHON DES SABLES)250K 100位
2023年6月 DEEPJAPANULTRA100 100mile 6位
<ランニングカメラマン活動>
2023年1月 赤羽ハーフマラソン(尾藤朋美)
2023年2月 青梅マラソン30K(尾藤朋美)
2023年3月 球磨川リバイバルトレイル100mile(尾藤朋美)
2023年4月 ハセツネ30K(尾藤朋美)
2023年4月 サハラマラソン(MARATHON DES SABLES)250K(尾藤朋美)
2023年6月 SPARTAN MONT-TREMBLANT ULTRA(尾藤朋美)
<YouTube(主な作品 / TOMOMI FITNESS)>
【世界一過酷】砂漠250km走るサハラマラソン!日本人快挙、2大会連続入賞!