鷲を追いかけた、長い夏休み 

「私には夢がある。それは、いつの日か ── 」

これは、誰もが一度は目にしたり耳にしたりしたことがあるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)の演説の一節です。 
そう、私には夢がある。それは、いつの日かWestern States Endurance Run(WSER)を走り、Grand Slam of Ultrarunningの称号を得るという夢である。 

トレイルランニングを始めたころに漠然と思い描いていた夢に挑戦する機会が、2023年に巡ってきたのです。WESRにエントリーし続けて、10年。エントリーチケットは、気がつけば256枚(はずれるたびに、チケットの枚数が、1枚が2枚、2枚が4枚と増えて、エントリーし続けると当選しやすくなるシステムになっています)。自分には縁がないのかもしれないと思えるくらい、チケットは途方もない枚数に膨れ上がっていました。 

が、ようやく、ようやく出走する権利を手にすることができました。ちなみに、2024年のロッテリーが12月のはじめにありましたが、256枚も持っているランナーは3人しかいませんでした。 

10年越しの夢 

なぜこれほどまでに、WSERを走りたいのか。それは、アメリカ最古の100マイルレースと言われていることが理由のひとつです。そして、最初に開催された年が、自分の生まれ年と同じ1977年であること。単なる偶然ですが、勝手に縁を感じてしまっているのです。 

Grand Slam of Ultrarunningは、このWSERを含め、Old Dominion、Vermont、Leadville、Wasatchという、アメリカの100マイルレースのなかで歴史のある5レースのうち4レースを完走すると得られるタイトルです。プロトレイルランナーの石川弘樹さんがもつ、鷲のトロフィーで知っているトレイルランナーの方も多いと思います。 自分はWSERを走り、かつ5レースすべてを完走して、Grand Slam of Ultrarunningのタイトルを獲得することを目標において走ることを決めていました。 

100マイルレースを5本走るということだけでもそれなりの覚悟がいりますが、このグランドスラムは6月から10月の3.5カ月間で5本の100マイルレースを走らなければなりません。レースの間隔は長くて3週間、だいたいが2週間程度しかない過酷な挑戦です。 

加えて、日本に住む自分にとっては、その都度、渡米しなければなりません。体力的にはもちろん、経済的にもなかなかハードな挑戦でもあります。自分としては、100マイルを5本ではなく、3.5カ月間をひとつのレースと捉えて走るマインドで臨むことを決めました。 

スタートラインに立つ 

このグランドスラムを走るにあたって最初の懸念が、リカバリーでした。1月にHK4TUC、3月にBarkley Marathonsを走って酷使した身体を、4〜5月の約2カ月でどこまで状態を戻せるのか。途中、彩の国のペーサーや自分が運営する100マイルチャレンジ「T.D.T.」などもあり、じっくり身体を休めることは難しい状況でした。グランドスラムのスタートのレースは、T.D.T.の2週間後に開催されるOld Dominionです。

アメリカ東部バージニア州で行われる歴史ある100mileレースです。WSERに次いで2番目に古いと言われている100mileレースですが、WSERが山火事などで中止になっていることがあるので、実は開催回数は最も多いレースなのです。 

ここでは、Barkley Marathonsを走るようになるまで、毎年のように参加していたハワイの100マイルレース「H.U.R.T100」で知り合ったアレックスの家を拠点にし、レースに臨むことができました。コースはほとんどが林道とロードですが、時折、アメリカの懐かしい「ザ・田舎」といえる農家の裏庭や牧場を通り抜けていきます。コースの雰囲気は抜群です。 

 

グランドスラムに挑戦するにあたり、グランドスラマーになるだけではなく、4レースでサブ80、5レースでサブ100を目標に定めていました。その目標達成のために、Old Dominionはサブ18をめざして走ります。 

しかし、フタを開けてみると、ここまでのタイトなスケジュールが響いたのか、時差ボケからか途中で眠くなって、ペースダウンしてしまい、カフェインピルを飲んでどうにか乗り切り、18時間52分で2位でフィニッシュ。結果とは裏腹に、かなり暑い気候もあって、途中で固形物を受け付けなくなり、ジェルだけで凌いだり、歩きを積極的に入れて涼しくなってから勝負を仕掛けたりする辛抱のレース展開でした。 

ただ、とにかくグランドスラムのスタートが切れたこと、苦しいなりにまずまずのタイムでフィニッシュできたことを、次のレースWSERに繋げていくことに頭を切り替えます。そう、次は夢にまで見たWSERなのだから。 

WSERを走る 

10年越しの願いを叶える時が、ようやく訪れました。WSERでは、 “アメリカの父” ことクニさんに、お世話になり、クニさんのホームトレイル「Cardiac Trail」を走ったり、レース序盤の雪が残っているエリア(今年は残雪が多かった)をチェックしたりして、リラックスしながら時差や気候に身体を慣らしていきました。 

これまで走ってきた100mile、これから走るであろう100mileのどれもが思い入れ深いレースやチャレンジになることは間違いないですが、そのなかでもWSERは、僕の夢であるBarkley Marathonsと並んで特別な存在です。 

10年待ち望んだレースは、10mile進んだら「あ〜、あと90mileしか走れない」と思うくらい、ずっと続いていてほしいと感じていました。目の前に広がる光景は、繰り返し観たドキュメンタリー『Unbreakable: The Western States 100』の世界そのもの。ここはあのシーンの、ここは……と思いながら走っていました。 

今年は、レースの象徴的ポイントのひとつNo Hands Brigdeにエイドがなかったのが残念ですが、20時間19分59秒は夢心地でした。スタートからしばらく続く残雪エリアが思うように進めなかったので、目標としていたサブ18には及びませんでしたが、充分に力を出し切ることができたと思います。

それはレース後半を素晴らしいペーシングで導いてくれたペーサーのブランドンのおかげでもあります。トレイルを走るランナー同士、初めて会ったとは思えないくらい波長が合って、またいつか一緒にトレイルを走りたいと思える仲間がまた一人増えました。そして、新しいランナー仲間を繋いでくれたマリコさんにも感謝しかない。 

ハリケーン襲来 

ウルトラランニングをやっていると、ほぼ100%思い描いた通りになることはありません。大なり小なりのトラブルはつきもので、それをどのように乗り越え、ゴールに辿り着けるかを楽しむ競技だと思います。そういう意味では、3戦目のレースであるVermont100は自分にとって試練となるレースだったのだと思います。 

それは、渡米2日目のことでした。Vermont100の開催地にハリケーンが直撃し、レースがキャンセルになってしまったのです。 

ちょうど自分は、Barkley Marathonsでいつもサポートをしてもらっているアナトーリの家のテレビで映像を見ていて、被害は甚大でレースどころではないのは、映像からも見て取れました。ただ、これでグランドスラムを完全制覇する夢は終わってしまうのか……とショックを受けていました。 

ただ同時に、過去にも似たようなことがあり、2つのレースが代替レースに認められていたことを思い出し、気がついたらウルトラサインアップで滞在中に参加できる100マイルレースを探していました。 
エントリーできそうなレースはひとつだけ。Devil’s Gulch。さっそくレースディレクターに参加させてほしいとメールをすると、快く受け入れてくれました。 

アナトーリは、まだLeadvilleとWasatchが残っているから少しでも体力を温存したほうがいいとアドバイスしてくれました。確かにそれが賢明な選択
択かもしれない。もちろん、ハリケーンの被害は空港にも及んでいて、そのレースの場所まで飛行機が飛ぶのかさえ不確かな状況でした。 

「自分は何がしたいのか」。ずっと自問自答を繰り返しました。 

その答えは、Devil’s Gulchを走るということでした。自分の決断に呆れるアナトーリに空港に向かってもらいました。途中のガソリンスタンドも停電しているような状況で、空港へ移動中のクルマの中から航空会社への電話も繋がらない。 

空港で待ち続けると、ハリケーンがどこかへ行き、4時間遅れで飛行機が飛んだのです。もしあのとき電話がつながってフライトをキャンセルしていたら、どこかで引っ掛かりを残したまま、グランドスラムを達成したことになっていたのかもしれません。 

レースは23:54:44で1位フィニッシュというおまけつき(完走者は3人でした)。のちにグランドスラムのレースとして、無事に認定されました。

試練のLeadville 

第4戦の開催地Leadvilleという村は、標高3120mあたりにあります。富士山でいうと「太郎坊」くらいから走り始めるイメージです。トレイルランニングは、日本もそうですが、宿の数が限られているので、その確保は一筋縄ではいきません。とくにLeadvilleは、出走者が800人とアメリカのウルトラのレースでも最大規模のレースで、会場から遠い場所でないと宿が空いていない状況でした。 

「オレの部屋に泊まれよ」。そう声をかけてくれたのは、Old Dominionのゴール地点で知り合ったジャレッドでした。Old Dominionの会場でグランドスラムの話をしていると、宿がないなら一緒に泊まろうと声をかけてくれたのです。彼には、空港まで迎えに来てもらったり、ペーサーを務めてくれたネイトを紹介してくれたり、さまざまな面でサポートをしてもらいました。 

ネイトとは初対面でしたが、初めて会ったとは思えないほど共鳴するところが多かったのは、同じウルトラランナーということもあるのでしょう。レース当日は、彼のお子さんの誕生日でしたが、日本からぼくが来ること、そしてグランドスラムをサポートすることを伝えたら、快く送り出してもらったと話してくれました。 

Leadvilleでは、慣れない高地でのレースに苦しめられ、前半に潰れてしまう有様。でも、距離の長いウルトラに浮き沈みはつきものです。進み続けていると状況は変わります。後半はどうにか持ち直し、サブ24(23:31:18)でフィニッシュ。目標としていたサブ20には及びませんでしたが、最終的な目標はグランドスラム達成と全レースでサブ24。結果としては充分です。

ファイナルアンサー 

いよいよ最終レースのWasatch。グランドスラムは5レース中4レース走ればいいのですが、必ずWasatchを入れなければならないので、このレースに失敗するとすべてがダメになるということ。開幕戦のOld Dominionでも、憧れのWSERでも感じることがなかった緊張感に包まれていました。 

Wasatchは、これまで挑戦した日本人のランナーの誰一人としてサブ24を達成していない。それだけ難しいレースでもあります。今回のグランドスラムで自分がターゲットにしていた4レースでサブ80、5レースでサブ100の達成は現実的ではないが、グランドスラムのすべてのレースでサブ24を達成することをめざしました。 

恐らく自分の周りの多くの人が、短期間で4本の100マイルを走ってきていて、サブ24は難しいのではないかと思っているだろうし、自分自身もグランドスラム達成のために、セーフティーに完走するという選択肢が残されている。それでも、サブ24を狙うことを選択しました。 

Wasatchでは高地順応するために早めに渡米し、コースの2回ほど試走し、身体を慣らしていきました。1週間ほど滞在することで、Leadvilleのときの高地順応が余韻として残っているのか、Leadvilleに訪れた当初のときのような高地特有の苦しさは感じませんでした。もしLeadvilleでの高地順応がなければ、Wasatchではこんなにもスムーズに高地順応ができなかったと思います。 

レースは、途中でタイムテーブルから遅れ始めた。「自分には無理なのか」と疑う瞬間もありましたが、こういう時に活きるのが経験です。自分は誰よりも100マイルを走ってきている。そう信じて抑えにいくと、脚が動きはじめ、140km地点でようやくグランドスラムとサブ24の達成を確信することができました。 

もちろん、それは自分だけの力ではありません。H.U.R.T.で知り合って以来の友人であるイアンが、レースを通してサポートしてくれたり、Tomo’s Pitのクライアントであるベンジャミンがペーサーをするためにわざわざスイスから来てくれたり、それ以外にも家族や日本の友人たちのサポートがあってこそのこと。 

グランドスラムを終えて、つくづく思うのはトレイルを走り続けていなければ出会うことがなかった友人たちがいてくれたからこそ、自分は走り切れたということです。 

でも、自分の夢はこれで終わりではありません。「夢の墓場」であるBarkley Marathonsのフィニッシャーになること。キング牧師を殺害した凶悪犯の脱獄劇から生まれた“悪魔のレース”の5度目の法螺貝は、すでに鳴っているのです。 

Result〉 

Old Dominion 18:52:27 2nd overall 

Western States 20:19:58 39th overall 

Vermont Cancelled 
Devil’s Gulch: 23:54:44 1st overall 

Leadville 23:31:18 39th overall 

Wasatch 23:17:17 6th overall 

Best 4 x 100 times: 86:01:01 19th/406 finishers since 1986 

グランドスラムで活躍したSalomonギア 

今回のグランドスラムは、Barkley Marathonsでも使った、超⻑距離を⾛り切れるクッショニングを備えている「S/LAB GENESIS」一択。また、22年のバックヤードウルトラ以来、愛⽤しているソックス「S/LAB NSO VERSATILITY」は、程よいコンプレッションがランニング中もリカバリー中も手放せない(脚話せない)ギアです。6月から10月にかけて開催されるグランドスラムは暑さ対策も重要です。S/LAB SPEED BOBもマストなギアでした。 


FOCUSED ITEM

S/LAB GENESIS

S/LAB GENESIS は、コンペティションへのこだわりから解放されたシューズ。レース仕様の抜群のグリップと優れた保護力、快適さを備えていますが、自己最高記録よりも共有経験を積み重ね、数値ではなくアドベンチャーとして距離を語れるような、トレイルランニングの新しいアプローチを提案します。

S/LAB ULTRA KNEE

※S/LAB NSO VERSATILITYに近しいモデルを紹介しております。
ウルトラディスタンスのために開発された S/LAB ULTRA KNEE は、トリガーポイント(〇部分)に Resistex® Bioceramic ファイバーを使用することで微小循環系の働きを高め、エネルギーリターンを向上。軽いコンプレッションで筋肉をサポートし、速乾性に優れた配合で履き心地も快適です。長時間着用しても気にならない、程よい着圧のソックスです。

S/LAB SPEED BOB

トップアスリートからのフィードバックをもとに、S/LAB SPEED BOB の保護機能を高めました。より幅広く、形や角度も変えられるようになった縁は、適度に調節可能です。ホワイトカラーのメッシュ素材はとても軽く通気性抜群。アイスキューブを入れるスペースも充分です。炎天下でも太陽光線から頭部をしっかり保護してくれます。


井原 知一/TOMOKAZU IHARA

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・Answer4アスリート / Salomonアスリート

株式会社TOMO’S PIT代表Facebook / Instagram
※オンラインコーチング

Podcast / 100miles100times

2007年当時、身長178cm・体重98kgの肥満体系であったが、ダイエット企画の社員サンプラーとなり毎日30分トレッドミルを走り続けた結果、3ヶ月で7kgの減量に成功。それ以来、走ることがライフスタイルとなりトレイルランニングと出会う。夢は、100マイルを100本完走するとともに走る楽しさを広げていくこと(2022年12月時点で100マイルを64本完走)。