
富士山は、五合目から登るもの——。
いまではそれが当たり前となっています。
けれど、かつての富士登山は、麓の町から始まっていました。北口本宮冨士浅間神社へと続く「富士みち」は、信仰や人々の営みを背負いながら、山頂へとつながる一本の道。
ゼロ合目から歩き出してみると、富士山は「登る山」ではなく、「たどる道」になる。町から森へ、文化や信仰の痕跡を踏みしめ、やがて雲の上へ——。
本記事では、富士みちを起点に、ゼロ合目から山頂までを歩き通す「ZERO to FUJI」という登り方を紹介します。それは、ただ山頂を目指すだけではない、もうひとつの富士登山のかたち。
人の営みや歴史が積み重なる「富士みち」

登山者にはあまり知られていない、江戸時代から歩かれている富士山への古道が、いまも息づいています。
それが、山梨県大月市から富士山の山頂に続く「富士みち」。
富士講の人々と富士山をつないだ参詣道で、関東一円から富士みちを通じて富士吉田の町に人々が集まりました。そして、富士吉田市にある北口本宮冨士浅間神社を起点として吉田口登山道につながり、六合目で吉田ルートに合流。富士山の麓から山頂まで続く、数少ない道です。

江戸時代の古地図や明治期の写真を見ると、「富士みち」が富士登山の主要な道として使われてきたことが分かります。五合目から登る現在のスタイルが一般化する以前、富士山はこの道を通って、麓から登るのが当たり前だったようです。

「富士みち」は、富士山を神聖な山として信仰する民衆の集まり「富士講」により、たくさんの先人が登った山岳信仰の道。健康や一家繁栄・商売繁盛などを願い、心身の浄化を目的として、富士山に登山する「登拝」が行われています。

また、富士修験の道でもありました。山伏は、自然そのものに神仏を見出し、富士山という霊山に入って修行することで、煩悩を払い、超自然的な力を身につけていたようです。

深い森に包まれた道沿いには史跡や当時建っていた茶屋などの名残がそこかしこにあり、思いを馳せればかつての賑わいが肌で感じられそうなほど。
ただの登山ではない「ZERO to FUJI」

多くの人にとって、富士山は五合目から始まる登山です。富士宮ルートや御殿場ルートなど、いまではそれが“普通”になっています。けれど、かつては麓の町から歩き出すのが当たり前でした。
ゼロ合目から歩いてみると、富士山は「登る山」ではなく、「たどる道」になる。信仰や修験の道として、江戸時代から続いてきたこの道を、現代の登山の楽しみ方として捉え直す。それが「ZERO to FUJI」です。

現在の登山ルートの多くが、交通事情や観光の発展とともに整備されてきたのに対し、富士みちは、麓から山頂へと人が歩き続けてきた歴史そのものをなぞる道です。どこから登るかという選択は、富士山との向き合い方を選ぶことでもあります。
今回、そんな「ZERO to FUJI」を、サロモンスタッフの矢野可菜さん、富士吉田市富士山課の小沢智成さんと一緒に、富士山頂までの道のりを歩き通してきました。

サロモンスタッフ 矢野さん:辛くて、辞めたいと思ったんです。正直、泣くつもりはなかったんです。でも、歩いてきた道や景色を振り返った瞬間、自然と涙が出ました。富士山に初めて登ったのに、“ただ登っただけじゃない”感覚が残ったのが印象的でした。

富士みちをゼロ合目から歩き、信仰や修行の「道」と呼ばれてきた理由を肌で感じたという矢野さん。町から山頂までをつなげて歩くことで、人の営みの積み重なりが実感として伝わってきたといいます。そして、日本最高峰へ登る苦しさを超えた先に、思わず涙がこぼれるほどの深い感動があったようです。
ただの登山ではない富士山への「道」を一泊二日で歩いた、その様子をみていきましょう。
一日目:「富士みち」をたどる。先人の営みと自然が色濃く香る、ゼロ合目から五合目

「富士みち」から続く登山道の入口となるのが北口本宮冨士浅間神社。世界遺産・富士山の構成資産のひとつであり、1900年以上の歴史があります。
入口の鳥居をくぐり、立派な杉並木と石灯籠が両脇に佇む参道を進む。出迎えてくれるのは、木造の鳥居としては日本最大級の冨士山大鳥居です。荘厳な姿を前に身が引き締まり、登山への静かな高揚感が湧き上がってくるようです。

まずは、登山の無事を願ってお参り。そして、北口本宮冨士浅間神社の西宮本殿右手後方にある登山門を過ぎれば、いよいよ富士山山頂への道のりが始まります。

中ノ茶屋までの吉田口遊歩道は、1929年から富士登山バス(富士山自動車株式会社)が運行されていた道路。そのためか、道幅は広く、足元には石が敷かれ、道が整備されていたことがうかがえます。多くの登山者を運んだ富士登山バスですが、1964年に富士スバルラインが開通したことで廃業となりました。

北口本宮冨士浅間神社の登山門から馬返しまでの中間地点にあるのは、300年以上の歴史をもつ中ノ茶屋。昔から多くの登山客を見守ってきました。

サロモンのシューズがレンタルできたり、スナック菓子やチョコレートなど行動食の買い足しもできたりします。装備をいまいちどチェックして、最後の身支度を整えるのに便利なポイントです。

名物は「みたらしだんご」や「かりんとうまんじゅう」。甘味をとって身も心も満たし、再び吉田口林道を90分たどると、馬返しに着きます。

馬返しは、険しくなる登山路の手前で、乗ってきた馬を帰して徒歩に切り替えた場所です。


馬返しには、富士山の歴史に触れられるものがあります。それが、石造りの鳥居の両脇に配置されている、合掌する猿の像。
一夜にして富士山が湧き出たという伝説。それが庚申(かのえさる)の年であったことから、富士山の使いとして、猿が鎮座しています。
こうした由来や伝承を思い浮かべながら歩いていると、頭で理解していた歴史が、少しずつ足裏の感覚として積み重なっていくようです。

いよいよ登りがきつくなり始め、ひと息つきたいときに現れるのが、一合目にある鈴原社。立派な建物の中には大日如来像が奉られていましたが、いまは富士吉田の町に安置されています。

足元に目をやると、多くの人が往来していた痕跡がみられます。石畳で整備され、登山道というよりは古道といった印象。
雨などで降った水を逃がす排水溝や、水を留めて浸水させる浸透桝もあちこちに。水で削られやすい土壌を守るために施された先人の知恵に、感嘆するばかりです。

苔が生い茂り、広葉樹や針葉樹が林立する道を三合目まで登り詰めれば、森がふと開けた場所に出ます。見晴らしが効き、ゼロ合目からの登りを振り返りながらお昼休憩するのに、もってこいの場所。
江戸時代から二軒の茶屋が立ち並び、早朝に出発した登山者も、この場所で昼食を取ることが多かったことから「中食堂(ちゅうじきどう)」という名だったそう。見晴らしの良い場所でお昼を、という登山者の気持ちは、今も昔も変わらないようです。

お腹を満たしてふたたび歩みを進めると、四合目「大黒小屋」、四合五勺「御座石」、五合目「中宮」と次々に出てくる先人の足跡。


体は疲れを感じ始めているにもかかわらず、知的好奇心が刺激され、軽快になる足取り。町から続く道を、自分の足でここまでつないできたという道のりも後押しになって、次の一歩を自然と前に運んでくれるようです。

そして、いつの間にか一日目の宿泊ポイント、五合目の佐藤小屋に到着。

夕食の美味しいお鍋に舌鼓をうち、早めに就寝をして、明日に備えます。
サロモンスタッフ 矢野さん:山頂付近の0度近い気温を想定した装備を背負いながら、夏山の暑さに苦しみましたが、小屋のなかは快適で、あたたかい食事に元気が出て、体をしっかり休められました。(取材は2025年9月)
美味しい夕食を存分に楽しんだ後は明日の行程とスケジュールをしっかりと確認、明日はいよいよ富士山頂へアタックします。
2日目は佐藤小屋(五合目)から山頂を目指して登り、そして下山をするという長くハードな行程をこなさないといけません。
いつもよりちょっとだけ空が近い、この場所でしか見ることの出来ない満天の星空に余韻を残しつつ、少しでも体力を回復させるために早めに床に就きます。
後編へ続く。
原稿:大堀啓太
写真:武部努龍
協力:富士吉田市、ふじさんミュージアム、アメアスポーツジャパン(SALOMON)

富士吉田市とアウトドア・ブランドSalomonは、2026年の登山シーズンを前にまったく新しい登山マップを制作しました。吉田口登山道と富士みちをフィーチャーしたこの地図は、富士山とその裾野に広がる富士吉田の街の魅力を多くのハイカーやトレイルランナー、ツーリストにお届けします。マップ制作の背景を、プロジェクトに携わる3名に伺います。
小沢智成(富士吉田市経済環境部富士山課)
澤栁幸司(富士吉田市教育委員会 歴史文化課)
鰐渕航(Salomon マーケティング)

富士山と富士みちの新たな魅力を広く発信する
―北口本宮冨士浅間神社の登山門から馬返しまでの中間地点にある中ノ茶屋が2026年の営業をスタートし、夏山シーズンが始まります。シーズンを見据えて作成した富士みちマップは、これまでの登山マップと何が違うのでしょう?このマップのコンセプトと、制作の背景を教えてください。
小沢 新たに制作したのは富士みちマップといいまして、吉田口登山道と富士みち(過去記事)をフィーチャーするものです。吉田口登山道は多くの登山者に利用いただいていますが、ほとんどの方が富士スバルライン五合目から上がっていきます。山麓から徒歩で山頂にアクセスできるのは、富士山頂にいたる全4ルート(吉田口、富士宮、須走、御殿場)のなかでも吉田口登山道だけ。そして、これはあまり知られていないのですが、吉田口登山道の起点となる北口本宮冨士浅間神社から五合目にいたる登山道がすばらしいんです。豊かな自然のなかに富士山信仰の史跡がひっそりと佇んでいて、五合目から山頂に登るより少ない負担で山歩きを楽しめます。このマップでは、北口本宮冨士浅間神社から五合目までの区間にフォーカスを当てるとともに、富士山にまつわる歴史や文化、伝統が息づく富士吉田市の魅力を、現代のハイカーやトレイルランナーの視点で掘り下げようと考えました。

鰐渕 富士吉田市と私たちSalomonの取り組みは昨年3月に結ばれた包括連携協定からスタートしました。富士山麓の豊かな自然と、ユネスコ世界文化遺産にも登録されている富士山にまつわる文化や伝統は唯一無二のものですが、マウンテン・ブランドであるSalomonが現代的な要素を加えた富士山の新しい魅力を世界に発信するお手伝いができるのでは、ということで包括連携協定締結の運びとなりました。昨年はこの取り組みの第一弾として、北口本宮冨士浅間神社と馬返しの中間地点にある中ノ茶屋のリニューアルを行ったんです。
小沢 中ノ茶屋は古い施設なんですが、ここにシャワーブースとロッカーを増設し、さらにSalomonのトレイルラニングとハイキングのシューズをレンタルできるコーナーも設け、現代的なアウトドア・アクティビティの拠点に生まれ変わりました。これは地元の新聞、メディアなどで盛んに取り上げられたので、市民に対するインパクトも大きかったんです。実際、ハイカーの使い勝手が向上したことで一昨年と比べると利用者が3倍に増え、大きな手応えを感じています。また、八合目の富士吉田救護所に詰めている医療スタッフの支援の一環として新しい防寒着を手掛けていただきました。スタッフのモチベーション向上につながったと聞いています。

鰐渕 富士吉田市は1978年からヨーロッパ・アルプスの最高峰であるモンブラン山麓の、シャモニー・モンブラン市と姉妹都市になっているんですよね。私たちはフランス発祥のブランドですから、親和性はしっかりと感じています。マウンテン・ブランドの立場からすると富士山は特別な存在ですし、ブランディングに関する取り組みには魅力もやりがいも感じています。
小沢 行政はどうしても情報発信に関して後手後手になりがちですから、世界的なブランドの発信力に期待しています。

なぜ富士みちをフィーチャーするのか
――江戸時代に富士講信者が歩いた富士みちを現代版に再興させる(富士吉田市)/現代でフォーカスする(Salomon)というのはおもしろい視点ですよね。これまで富士吉田市内で富士みちはどういう立場にあったのでしょう?
澤栁 富士みちという、歴史や文化、山岳信仰が息づく参詣道の存在を広くお伝えしてきましたが、いわゆるライト層には届いていなかったと思います。ストーリーはすばらしいものですから、もったいないと感じていました。これまでと切り取り方を変え、より多くの方に届けていきたい。Salomonとはそういう取り組みができると感じました。
小沢 富士山も富士山信仰も世界に誇るべき富士吉田の資源なのですが、実際には市民にその価値があまり知られていないという課題がありました。
鰐渕 これまで富士みちを歩いていた層からもう少しターゲットを広げ、山歩きを楽しむ、山にまつわるカルチャーに興味をもつ人たち全般に、富士みちという新しい価値、体験を発信していきたいと思っています。ですから、まずは富士吉田に足を運びたくなる施策を仕掛けていく。中ノ茶屋リニューアルはその一環ですね。そして、富士みちの良さは実際に歩いてもらうのがいちばんですから、今年は富士みちを歩くツアーの催行などソフト面の充実を計画しています。

――マウンテン・ブランドとして山の歴史や文化をこれだけ深掘りするコンテンツを作るケースは少ないのではないでしょうか?
鰐渕 そうですね。いますぐ使える情報として、山小屋だったり新しい登山道の整備だったりというストーリーの紹介が多いと思います。私たちも歴史や文化を深掘りするのは初めてですから、富士山の知られざる一面を発信するおもしろさややりがいと同時に、一介のブランドがこれだけの歴史や文化を扱っていいのだろうかという葛藤も感じています。信仰が絡んでくればなおさらです。ですから、扱う情報の内容や表現に関してはいつも以上に慎重に精査しています。
澤栁 やはり山岳信仰というとハードルが高くなりがち。でも富士みちを次世代に継承していくためにはたくさんの方に知ってもらう必要があり、そのためにはライト層にも届くわかりやすい発信が必要です。御師宿坊を営んでいらっしゃる方々もそのように感じているようです。


富士みちを資源として活用し、次世代に継承する
――この取り組みでは富士みちや吉田口登山道にまつわる文化や歴史を、富士吉田市ならではの資源として活用しようとしています。文化財・史跡を守りながら活用していくために必要なことはなんだと思いますか?
澤栁 吉田口登山道沿いにある史跡や文化財のなかには荒廃して倒壊寸前の状態にあるものも少なくありません。ところが、権利関係が複雑に入り組んでいる場所であるため、どこから手をつければいいのかわからないという状況が続いていました。富士吉田市では令和6年度末に吉田口登山道保存と活用のための活動計画を策定しましたが、その計画を推進していくタイミングで包括連携協定が結ばれました。従来、文化財は保護するものと考えられていましたが、近年、地域資源として積極的に活用して歴史的価値を維持していこうという機運が高まっていることもあり、この協定を契機のひとつとして史跡をたくさんの人に知ってもらおう、見にきてもらおう、そのための環境整備を、Salomonとともに行っていこう――となったわけです。
鰐渕 保護するだけならそんなに難しくないと思うんですよ、現状を維持するための施策以外は多くを求められないと思いますから。でも本当にそれでいいのでしょうか。文化財や史跡の価値を、広く世界に知ってもらうことも必要ではないでしょうか。私たちは部外者ではありますが、第三者だからこそのフラットな視点をもっています。富士みちというコンテンツが備える魅力や可能性を広く伝える施策やコンテンツを、関係者や周囲の反応を見ながら繰り出しているところです。
小沢 地元の人にとっても、自分たちがよく知っている文化財や史跡が世界的な注目を集めたら、その価値を再認識することができるのではないでしょうか。


――この取り組みも2年目を迎えます。今年はどんな思いをもって、どんな活動を予定していますか?
澤柳 登山道の活動計画でいうと、今年は一合目や三合目にあった倒壊した建物の部材を下ろし、景観の整備を行い、一合目については埋蔵物の学術調査も行う予定です。今後、大切なのは継続性だと思っています。過去に登山道の整備計画を市で作成しましたが、継続することができず頓挫してしまった経緯がありました。そのことからもさまざまな関係者が連携し、登山道における活動を継続していくための体制づくりをしっかり行っていきたいと考えています。
鰐渕 歴史的価値をレクリエーションのひとつとして楽しめるようなコンテンツがいいですね。「学びに行く」というと重くなってしまいますから、カジュアルに歩きながら歴史的・文化的な気づきや学びを見出していただきたい。そのために視覚的、感覚的な「楽しい、おもしろい」を発信していきたい。個人的には、オーバーツーリズムやそれに伴うごみ問題など、富士山にまつわる課題解決にもともに取り組み、よりよい富士山をつくるお手伝いができたらと思っています。
澤栁 馬返しから五合目までを利用するのは歴史好きの中高年ハイカー、富士登山競走に出場するランナーやトレイルランナーが多いのですが、走ってしまうと見過ごしてしまう史跡や文化財にもぜひ注目していただければと思います。そしてもう一つ、吉田口登山道を取り巻く美しい自然も楽しんでいただきたいです。五合目より上には森林限界の荒涼とした風景が広がっていますが、五合目までは富士山の偉大な自然が作り出した環境を楽しめます。そういった環境の変化にも目を向けていただければ。
小沢 今年はSalomonによるハイキングツアーも催行予定ですし、“富士山”にフィーチャーした商品も発売予定となります。こうした取り組みをきっかけに、これまで富士みちを知らなかったという方に興味をもっていただけたらうれしいです。
※ このインタビューは2026年3月に行われたものです。掲載写真内の地図は制作過程のものを使用しているため、一部内容が異なる場合があります。

マウントフジトレイルクラブ代表理事の太田安彦さんは、「夏の富士登山では“夏から冬まで”の気温帯がある」と話します。
その大きな気温差に対応するためには、レイヤリング、いわゆる重ね着のテクニックが欠かせません。なかでも、ベースレイヤー・ミドルレイヤー・アウターレイヤーという三層構造を意識してウェアを組み立てることが重要になります。ここでは、富士登山におけるレイヤリングの重要性や具体的なレイヤリング例について、太田安彦ガイドのアドバイスをもとに“最適解”を探っていきます。
富士登山でのレイヤリングの重要性と「三層構造」のポイント
富士登山と一般的な登山では、レイヤリングに大きな違いがあります。その理由は主に2つ。ひとつは標高差です。一合目から登ろうとすると、吉田口の登山口は約1400m。そこから標高3776mの山頂まで一気に高度を上げることになります。そのため気温差も大きく、さらに独立峰ゆえに強風や降雨など天候の急変も起こりやすいのです。

もうひとつは、富士登山ならではのスタイル。御来光を狙って夜間に行動する人も多く、山頂付近では冬山並みの冷え込みになることもあります。
こうした環境に柔軟に対応するための基本が、ベースレイヤー(=汗を素早く逃がす肌着)、ミドルレイヤー(=保温を担う中間着)、アウターレイヤー(=風雨を防ぐ外側の殻)という三層構造です。これらを状況に応じて足したり引いたりしながら、「夏から冬までをカバーできるレイヤーを、ひとつの登山の中で用意する」ことが重要だと言えるでしょう。
標高帯別のレイヤリングサンプル
五合目までの樹林帯エリア
(想定気温:20〜30℃)
一合目付近であれば、ショートパンツで歩きたくなるような気温になることもありますが、この先の冷え込みを考えるとロングパンツがベターです。汗をかきやすい登り始めは、速乾性の高い化繊やメリノウールのベースレイヤーを選ぶことで汗冷えを予防できます。肌寒さを感じたら、その上にウィンドシェルなどを重ねると良いでしょう。
最初は樹林帯ですが、のちのち岩場も現れますし、スコリア(砂状の細かい火山礫)が靴の中に入り込まないよう、シューズはミッドカット以上、ソックスは靴からしっかり出るくらいの長さのものがおすすめです。
五合目からの森林限界以降
(想定気温:10〜20℃)
五合目から上は少し肌寒くなってくるので、ロングパンツとウィンドシェルの組み合わせが基本になります。強風に備えるという意味もありますが、森林限界を超えると直射日光による熱中症にも注意が必要で、できるだけ肌を露出しないほうが良いでしょう。
八合目に差しかかると、かなり肌寒く感じるはずです。ただし日射しがある場合、行動中は汗をかくこともあります。化繊やメリノウールのベースレイヤーに薄手のミッドレイヤー、さらにウィンドシェルやソフトシェルなどを上手く組み合わせて、汗冷えしないよう調整しましょう。
早朝の八合目や御来光待ちの山頂付近
(想定気温:0〜10℃)
御来光を狙う多くの登山者は、まだ暗いうちに八合目あたりから頂上を目指します。夜間や早朝の時間帯には、気温が0度近くまで下がることもしばしばです。トップスは、インサレーション(中綿入り)ジャケットに、防風性の高いハードシェル(レインジャケット)を重ねた組み合わせが基本。強風時はフードをしっかり被ることで、頭部からの体温低下も防げます。
ボトムスは、ここまで履いてきたロングパンツの下にタイツをプラスするのがおすすめです。それでも寒さを感じる場合は、レインパンツも重ねましょう。首周りを冷やさないことも重要なので、ネックゲイターなどで対策を。ニットキャップをプラスしても良いでしょう。手袋は、手首までしっかり覆えるタイプを選びたいところです。
太田安彦ガイドからのアドバイス
「さまざまな状況が起こりうる富士登山では、“選択肢をたくさん持つ”ことがレイヤリングでいちばん大切だと思います。そのぶんウェア類はどうしても増えてしまうので、軽量・コンパクトで携行性の高いものを選ぶと快適性がぐっと上がります。
特にレインウェアは、高性能なものを用意してほしいですね。雨でもインナーが濡れないことはもちろん、防寒具としても機能しますから。バックパックの容量の目安としては、30〜40リットル程度がおすすめです。
山頂付近での御来光待ちは特に要注意です。山小屋に入れる人数には限りがあり、吹きさらしの中で長時間停滞する可能性もあります。そのため、防寒対策はくれぐれも万全にしておいてください。
気温への対応には個人差があります。適材適所でウェアをレイヤリングできるよう、事前にイメージトレーニングしておくことも大切だと思います。
適切なレイヤリングで登るかどうかは、登山時の快適性だけでなく、あとに残る思い出の質にも大きく影響します。ぜひ、自分なりの“最適なレイヤリング”で富士登山に臨んでほしいですね」
富士登山装備チェックリスト
エリア別のスタイルを選んだら、出発の前に装備の最終チェックをお忘れなく。


標高3776m、日本の最高峰・富士山。誰もが一度は「登りたい」と夢見る存在ですが、その頂を踏むまでには多くのリスクが潜んでいます。例年、登山シーズンには数万人が山頂を目指す一方で、八合目の救護所には体調不良や事故に見舞われた登山者が後を経たないというのもまた事実です。


富士山八合目富士吉田救護所で20年近くボランティアを続ける岩瀬史明医師は語ります。
「富士登山をしようと思うくらいですから、元来健康な人が多い。ただ、日常とは違う標高の高い場所だということを忘れてはいけません。事前の体調管理としっかりとした装備を持って行くこと。これらの点を守ってもらえれば、富士登山中の体調不良の多くは予防できると思います」
今年から、富士吉田市と包括連携協定を結び、救護所スタッフのウェアの一部をサポートするサロモン。ここではそのアイテムを取り入れながら、実際の救護事例を交えて、富士山登頂を安全に楽しむための装備リストを紹介します。

医師が推奨する富士山登頂装備リスト

① ウェア——「低体温症の搬送者は薄着の人が多い」
富士山は真夏でも山頂は5℃以下。日中は汗ばむほどでも、夜間や風に晒されると一気に体温を奪われます。とくに御来光待ちの時は真冬なみのウェアで。
推奨装備:
・ベースレイヤー メリノや化繊などの素材で汗を吸湿・速乾
・ミドラー フリースなど保温と通気を備える中間着
・インサレーション 保温性に優れたダウンや化繊などの中綿アイテム
・レインウェア上下 サロモンの防水シェルはスタッフも採用
・替えのソックス・インナー 雨や汗の濡れによる低体温症予防に
実例:ある30代男性はシャツ一枚にウィンドブレーカーだけで夜間の登頂を試みました。八合目に到着するころには震えが止まらず、低体温症の初期症状が出て救護所に搬送。着替えもなく、全身が汗で冷え切っていたのが原因でした。

② アクセサリー——「紫外線障害は軽視されがち」
富士山は五合目から森林限界を超えており、遮蔽物も少ないので直射日光と強風に体を晒すことになります。
推奨装備:
・ビーニー・ネックゲイター 末端冷え対策
・グローブ 薄手の防風・耐水性を備えるものが理想
・サングラス UVカット推奨
・帽子 熱中症予防にも
・ヘルメット 落石や転倒事故への備え
・ゲイター 靴への砂利などの侵入を防ぐ
実例:救護所には毎年、サングラス不携帯で「雪盲」に近い状態に陥る登山者が運び込まれます。目の痛みと視界不良で歩けず、結果的に他人への迷惑にも発展することがあります。

③ 装備・ギア——「スニーカー登山は厳禁」
八合目手前からは岩場のガレた道が続き、下山時の転倒事故が後を絶ちません。
推奨装備:
・ザック 30L以上程度
・レインカバー 必ずザックのサイズに合ったもの
・トレッキングポール 膝関節の負担軽減や転倒防止
・登山靴 ミドルカット以上で履き慣れたものが推奨
実例:20代女性の登山者はスニーカーで挑戦。下山途中に足をひねり、歩行困難となり救護所に収容。最終的にヘリ搬送を余儀なくされました。靴底は摩耗してグリップが効かず、初歩的なギア不足が重大事故に繋がったケースです。

④ ライト・電源・通信——「電池切れが道迷いを招く」
ご来光目的で夜間行動する登山者が多い富士山では、ライトと通信手段は命綱です。
推奨装備:
・ヘッドライト 予備電池も必携
・モバイルバッテリー 満充電したもの。ソーラー充電式も有効
・携帯電話 必ず携行し充電残量を確保
実例:40代男性はスマホのライトで登山を続けていましたが、途中で電池切れ。真っ暗な登山道で動けなくなり、同行者と救護所に駆け込むことになりました。

⑤ 水分・行動食——「脱水は高山病の引き金」
標高が上がると呼吸が浅くなり、知らず知らずのうちに体内の水分は失われます。小まめな水分補給が重要です。
推奨装備:
・ソフトフラスコ 必ず1L以上。ソフトタイプが携行に便利
・保温ボトル 暖かい飲み物を携行しておくと低体温症にも効果的
・行動食(ジェルや塩飴) カロリーはもちろん、経口補水液などミネラル補給ができるものも準備する
実例:50代男性が頭痛と吐き気を訴えて救護所に到着。診断は典型的な高山病でしたが、調べると水筒にはほとんど手をつけていませんでした。「トイレに行きたくなりたくない」という理由で水分を控える人は多く、救護所では頻発するケースといいます。

⑥ 安全・医療関連——「小さな備えが大きな差」
推奨装備:
・ファーストエイド 靴擦れ用テーピング、鎮痛薬など
・エマージェンシーシート 天候急変で二次遭難を防ぐ
・携帯トイレ 渋滞時などいざという時の備えに
・医薬品
実例:頭痛や関節痛を軽視して薬を持たずに登る人もいます。軽度の不調を自己対応できれば下山可能ですが、薬なしでは救護搬送に至ることもしばしばです。

⑦ その他必携品——「身元確認は生命線」
推奨装備:
・手拭い・タオル
・日焼け止め
・地図
・貴重品 緊急連絡先を記したメモや山岳保健、健康保険、現金など
実例:財布や身分証を持たないまま搬送される登山者も珍しくないそう。山小屋などで補給する際に必要になるので、現金を多めにもってくることも重要。
「登りきる」より「無事に下山する」ために
これまでの救護所の統計によれば、重症事例の半数以上は「頂上目前」で発生しています。頂に近づいた高揚感と疲労が重なり、冷静な判断を欠くのです。
岩瀬医師はこう結びます。
「しっかりとギアを準備していたとしても、とにかく無理をしないこと。自分の体調と常に向き合って、違和感を感じたら近くの山小屋などに声を掛けてください。八合目救護所まで来なくても、僕らが現場に出向くこともできますから」
サロモンをはじめ最新のアウトドアギアは、そうした安全登山を支える強い味方です。挑戦するすべての登山者へ。装備を整え、心を整え、「無事下山」を最優先に富士山と向き合っていただきたいと思います。

標高3100m。富士山の吉田ルート八合目には、長年登山者を見守り続ける救護所がある。
「富士山八合目富士吉田救護所」。そこに20年近くボランティアで通い続ける岩瀬史明医師に密着。標高3000mを超える高所という特殊な環境による体調不良者が続出する、富士山における医療の最後の砦の重要性を知る。
医師でありランナー
八合目まで駆け上がる
まだ空気がいくぶん涼しい、真夏の早朝6時。
富士山の登山口である中の茶屋の前を2人のランナーが駆け抜けていく。
先頭をいくのは、山梨県立中央病院に勤める岩瀬史明医師。

向かう先は「富士山八合目富士吉田救護所」だ。八合目に位置する山小屋、太子館に併設された救護所で、岩瀬医師をはじめとした地元や県内外の医療従事者たちが、24時間体制で診療や応急処置を無償でおこなっている。3000m付近から高山病の症状を訴える人が多数いたことから、2002年に開設。開山期間中の7月上旬から9月上旬にかけて毎年開設され、年に300〜400人の受診者を受け入れている。
岩瀬医師が救護所ボランティアをはじめてから、すでに18年になる。

サロモンのギアで身を固めている。走ることが趣味なのだ。通常だったら車で五合目まで上がって、その後はクローラー(運搬車)で八合目まで上がるのだが、岩瀬医師は毎年走って上がっている。走れるドクターなのだ。
フルマラソンの自己ベストは2時間20分台という実力。高低差3000mを一気に駆け上がる富士登山競走にも出場していて、過去には年代別1位など輝かしい成績をおさめている。毎年、救護所まで走って上がるのはトレーニングの意味もあるが、富士山の五合目までの道のりがとても好きだからだという。
「良い森なんですよ。五合目から先とはぜんぜん違う風景なので、ぜひ1度歩いてみて欲しい場所です」

高所環境が引き起こす高山病が
体調不良の約半分を占める
9時には八合目まで上がってしまうという岩瀬医師に遅れること数時間。救護所に到着すると、岩瀬医師の姿がない。捻挫をした患者さんを急遽六合目までクローラーで下ろして、再び八合目まで戻ってくるという。

救護所には他のボランティアスタッフの方々もいて、シーズン中は20ほどのチームが2泊3日交代で常駐している。救護所がある太子館前のベンチで待っていると、岩瀬医師が戻ってきた。今日だけですでに相当な移動距離だが「良い高所順応になりました」と、ピンピンしている。


登山者が次々と救護所前を通り過ぎていく。それにしても、いろんな人がいる。いかにも山に慣れていそうな人から、今回が山登り自体はじめてだという人まで、国籍もさまざまだ。
一時期は宿泊せずに夜通し歩く弾丸登山が問題になっていたが、昨年から山梨県側では五合目にゲートを設置。14:00~翌3:00まで通行止めにするなどの規制をおこなっている。
「一気に上がってくると、体が環境に対応できず高山病になるリスクが激増しますから、この規制はかなり効果があると思います。体調不良の統計で言っても4〜5割くらいの方が高山病です。その予防のためにも、休みながらゆっくり登ってくること、そして水分をこまめに補給することを心がけて欲しいです」


普段は山梨県立中央病院の救急救命センターに勤めていて、重篤な救急患者を受け入れている岩瀬医師。とうぜん普段の職場と、3100mという高所に位置する救護所ではだいぶ勝手が違う。
「富士山に登ってくるぐらいなので、基本は健康な人たちです。だから具合が悪くなったら下山を促すのが主な役割だと思っています。ただ、その判断というのはなかなか難しい。自力で歩いて下りられるのか、クローラーに乗せる必要があるほど切迫しているのか。だからガイドさんなどとも相談しながら、適切な判断をしていく必要があります」
当然、医療器具なども必要最低限だから現場での処置というよりは、安全に下ろすというのが重要になってくるのだ。


便利な移動手段がない中
“走れる”というメリット
しばらくすると岩瀬医師がトレイルラン用パックに、ファーストエイドキットを入れて背負う。山頂まで体調を崩している登山者がいないかパトロールに行くという。普通の足だと頂上まで行くだけでも3、4時間かかるが、岩瀬医師は1時間半ほどで戻ってくるという。

「山頂直下は体調を崩したり、怪我をする人がとくに多いので、毎日1度は見回るようにしています。パトロールだけじゃなく、現場に急行しないといけないこともあるんです。どこかの山小屋で体調を崩した人が出たという連絡が来たら、往診のような形で向かいます」
そうした現場に赴くためには、やはり普段から鍛え抜かれた脚力がものを言う。小屋からすぐ上の岩場をぐいぐい登って、あっという間に見えなくなる。


救護所から少し登った場所。見上げるとさきほどから日差しが強い。富士山の五合目以降は、樹木がほとんど生えていないから日陰がほとんどないのだ。
「風雨をしのげる場所も小屋周辺に限られるので、急な大雨などが降ったら低体温症の危険も出てくる」という、先ほど聞いた岩瀬医師の注意喚起の言葉にも繋がる。
目まぐるしく動いていく雲を眺めながら待つこと1時間。砂埃を上げながら、岩瀬医師が戻ってきた。
「いま救護所に患者さんが来ているという連絡があったので、ちょっと急いで下りちゃいます」という言葉を残し、そのまま駆け下りていく。

昼夜を問わず訪れる患者たち
山岳医療に休息はない
まっすぐ歩行できなくなったという症状の患者さんの診察を終えた岩瀬医師に、最近の登山者の傾向を伺ってみた。
「海外もそうですが国内でも遠方から来る人が多いように感じます。だからどうしてもスケジュール的にタイトになりがちです。つまり、登る前にすでに疲れているから、予期せぬ怪我や体調不良に繋がっているケースが多い。できれば体をゆっくり休めてから登山に臨んで欲しいですね。あとは装備関係。比較的登りやすいとは言え、標高は日本一ですから天候が荒れれば一気に気温も下がります。しっかりとしたレインウェアや防寒具、乾きやすいインナーなど登山に適したウェアや道具の準備がとても大切です」


日が傾くと同時に、救護所を訪れる人が増えてくる。長時間の登山を終え、ふっと気が抜けた時に症状がでる人も多いようだ。症状でいうと、高山病、熱射病、捻挫などが主だという。
ただ、ごく稀に重篤な患者さんも出ることもある。
「毎年、何人かは突然亡くなってしまう方もいます。今年も僕の前に入っていた班の時に、心肺停止になった登山者もいたようです。八合目あたりでそういう重篤な症状が出てしまうと、麓の病院まで下ろすのに、どんなに急いでも2時間以上はかかってしまいます。だから最初の心肺蘇生が非常に重要になってくる厳しい環境なんです。体調管理をしっかりしてから登ってきて欲しいというのが、現場の願いです」
すでに日没を過ぎているが、発熱したという人たちが救護所の前に列を作っている。結局この日、救護所の灯りが消えることはなかった。


翌日山頂まで足を伸ばす。美しい朝日に照らされた登りの道中で振り返ると霧に包まれた山中湖。はるか遠くには駿河湾まで望める。3776mという高峰ながら、独立峰なので視界を遮るものがない。他の3000m級に登ったとしても、この抜け感は得られない。これは確かに一生に一度は見ておきたい、オンリーワンの景色だ。


帰路、まもなく五合目に着くというところで、見覚えのあるウェアのランナーが登ってくる。まさかの岩瀬医師との再会だ。背中にはなんとAED(自動体外式除細動器)を背負っている。早朝、体調を崩した登山者を下ろして、いまは八合目にもどる途中なのだという。見ていた1日半の間だけでも、富士山を軽く2往復している。山に登る者として、岩瀬医師のような人たちがいるおかげで、安全に登れていることを忘れてはいけない。頭が下がる思いで、駆け上がっていく岩瀬医師の背中を見送った。


統括部長 岩瀬史明 医師
山梨県出身。山梨県唯一の救急救命センターにて統括部長を務める。2012年に山梨県でドクターヘリが導入された当初からの中心メンバーでもあり、2012年12月の中央道・笹子トンネル崩落事故にも出動。「富士山八合目富士吉田救護所」にボランティアとして2007年から参加。それ以降、毎年救護所に詰めている。趣味はマラソン、トレイルランニングで、市民ランナーとしてはトップクラスの成績を残している。

太田安彦(一般社団法人マウントフジトレイルクラブ代表理事)
田代広久(富士吉田市案内組合 組合長)
池敏子(富士山ガイド)
北口本宮冨士浅間神社から山頂までを結ぶ吉田口登山道は、富士山の登山道のうち、山麓から山頂まで歩いてアクセスできる唯一のルートです。かつては“富士みち”として親しまれ、富士講の行者による登拝がさかんに行われていましたが、1964年に富士スバルラインが開通してスバルライン五合目が設置されると、五合目以下の利用者が激減。登山道は一気に荒廃していきました。

吉田口登山道には富士山信仰の歴史をいまに伝える神社や小屋跡、石造物が残されていますが、その多くが老朽化しています。富士みちをどう活用し、歴史的価値や楽しみ方を伝えていくのか。こうした現状や課題を、登山道にまつわる歴史を学びながら、活用を考えようというワークショップが、サロモンを含めたアメアスポーツジャパンのスタッフとその関係者に向けて実施されました。
ここではワークショップの内容をお伝えするとともに、富士山と富士登山にまつわる文化や活動をサポートするサロモンスタッフが、吉田口登山道が抱える課題に対してどんな思いをいただいたのか、リアルな声もご紹介します。


開山直前の週末に行われた「富士山登山道整備ワークショップ」。当日の朝、スタート地点となった中ノ茶屋前には、東京から参加したサロモンのスタッフを中心に、アメアスポーツジャパンおよびその関係者30名と、それを迎える富士吉田市職員、そしてワークショップを引率するガイドが集合しました。
プログラムは「ユネスコ世界文化遺産の構成要素である山域の信仰遺跡群と文化財を多くの人に見てほしい」という堀内茂・富士吉田市長の挨拶でスタート。続いて登場したショーン・ヒリアー・アメアスポーツジャパン代表取締役社長は「環境、スポーツ、富士山の自然……大事なことに思いを馳せながら歩いてみましょう」と、ワークショップでの心構えを説きました。


中ノ茶屋でのオリエンテーション後、参加者はバスにのって細尾野林道入り口へ。ここから本日のガイドを務める太田安彦さん(一般社団法人マウントフジトレイルクラブ代表理事)と田代広久さん(富士吉田市案内組合 組合長)、池敏子さん(富士山ガイド)の案内のもと、三合目から一合目直下の馬返しまでを歩きます。三合目に至る細尾野林道は、本線と比べるとハイカーやトレイルランナーの姿もぐっと少なく、ヘビイチゴやヤマツツジなどこの時期に花咲く植物を眺めながら静かな山歩きを楽しめます。三合目の手前に現れたのが「女人天上(にょにんてんじょう)」という遥拝場。富士山が女人禁制だった時代、女性たちはここから富士山を拝んだといいます。ここで太田さんから、富士山信仰についての解説が行われました。

「富士山信仰は古代、噴火を繰り返す富士山そのものを神格化する自然崇拝から生まれました。当時は遠くから眺め、畏怖する対象だったようです。平安時代になると日本古来の山岳信仰と密教・道教が結びついて修験道が盛んになり、行者による登拝が行われるようになりました。15〜16世紀になると登拝が庶民にまで広まり、富士講の開祖・長谷川角行とその弟子、食行身禄(じきぎょうみろく)によって一気に大衆化。富士吉田の街には御師町(おしまち)が開かれ、日本全国から信者が押し寄せるようになりました。そこから現代のレジャー登山へと開かれていくのです」

富士山とご来光を同時に見渡せるスポットですが、登山道本線から外れていることもあり、ここの存在はほとんど知られていません。けれども、女性の入山が禁じられていた山岳信仰の当時の姿や、富士講が説いた男女平等を実現するために男装で登った女性信者のエピソードが残る「女人天上」は、富士山信仰を伝えるうえで欠かせないスポット。富士山の吉田口登山道のハイライトの一つとしてここをどう活用するか、今後の課題の一つとなっています。

「女人天上」を経て三合目(標高1840m)の、通称「三軒茶屋」へ。富士五湖を一望するロケーションで、江戸時代には「見晴茶屋」と「はちみつ屋」という小屋があり、お茶を点てて登拝者をもてなしていました。ここに残されている廃屋は、かつての「はちみつ屋」跡。残置された廃材・廃屋は登山道の景観を損ねますが、国立公園内に位置することもあってさまざまな規制の対象となっており、再建や撤去が難しいのだといいます。

三合目からさらに下り、二合目(標高1700m)の富士御室浅間神社跡へ。河口湖の南岸にある富士御室浅間神社の本宮で、富士山で最古の創建と伝えられます。戦国時代には武田信玄が勝利を祈願したという由緒ある神社ですが、こちらも登山道の荒廃とともに参拝や維持がなされなくなり、倒壊してしまいました。その先、一合目にある鈴原社も建物の一部が損傷しています。この周辺には富士講に関する石碑が残されていますが、地震によって倒壊したり、一部が欠損していたり。こちらも速やかな対策が求められています。

「10年前に富士吉田市が建造物調査を行い、それを受けて一部の建造物の建材の撤去を行いましたが、あれから時間が経って残された建物の損傷も進んでいます。費用の問題に加え、ユネスコ世界文化遺産に指定されていることからさまざまな制限を受け、今後の事業計画を立てづらいという問題があります。撤去するのか、保全して活用するのか、活用するならどう使うのか。ぜひみんなで考えていきたいですね」(太田さん)



その先の大文司屋を経て馬返しから再び中ノ茶屋に戻り、トレイルの振り返りを行いました。グループに分かれ、吉田口登山道で見つけた課題を洗い出し、ディスカッションを行います。
「初めて吉田口登山道にまつわるストーリーを耳にし、信仰の道、文化の道としての魅力を感じた。とはいえ、こうしたストーリーを知る人が少ないのは残念。各スポットを紹介する音声ガイドに飛べるQRコードが用意されているものの、その存在も知られていない」
「中ノ茶屋には今年からスターリンクも導入されたのだから、これを活用してデジタルコンテンツを作成できるのでは?」
「富士吉田の街と登山道を結びつける仕掛けが必要だと思う。トレイルランナーは多く見かけたので、ランナーが魅力に感じる演出を、富士吉田の街にも作るといい」
「御師町と五合目以下のつながりを楽しめる、デジタルガイドツアーのような仕掛けを作っていけないか」
「音声ガイドの存在をアピールするため、富士講とゆかりのある場所でデジタルガイドツアーを開催するのはどうだろう。都内にも富士講に関する史跡が点在するというから、それをめぐるロゲイニングイベントを行い、富士講と富士みちの認知を高めてみては?」

このように、さまざまなアイデアの交換が行われました。こうしたアイデアをもとに今後、吉田口登山道から新たな試みが生まれてくるかもしれません。開山を前に本格始動した「Mt.FUJI Re-Style Project」にご期待ください。

江戸時代にブームを巻き起こした、富士山信仰と富士講のこと
御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki
18代目・大鴈丸一志 / 奈津子
サロモンと富士吉田市が掲げるRe Style Projectでは、歴史ある吉田登山口の信仰や文化、ストーリーを再解釈し、富士山を象徴するルートである古きよき「富士みち」の魅力を改めて発信していきます。
富士みちとはなにか、どういう背景で生まれたものなのか。富士みちをひもときながらこの地に欠かせない御師(おし)の存在と、21世紀に継承される御師文化について考えていきましょう。
2ヶ月余りの開山期に、20万人もの登山者を受け入れる富士山。その登山の歴史は古く、平安時代末期にまで遡ります。とはいえ、当時、富士山を登っていたのは修験者たちに限られていました。木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)が鎮座する聖なる山で、厳しい修行に励んだといいます。この時期、末代上人は富士山に数百回も登頂し、山頂に大日寺を建立しました。
室町時代になるとこれが大衆化し、行者が庶民を連れて富士山に出かけるようになりました。それに伴い、現在の吉田口、御殿場口、須走口、富士宮口の原型となる登山道の整備が進みます。また、富士山をモチーフにした芸術作品も数多く誕生しました。人々にとって富士山とは“あの世”を意味していました。“あの世”に至ることで、一度死んで生まれ変わることができる――当時はそう信じられていたのです。

そこからさらに時代が下り、江戸時代になると富士山詣でが一大ブームを巻き起こします。きっかけは、戦国時代末期に登場した行者、長谷川角行が説いた教えでした。これが弟子の食行身禄(じきぎょうみろく)によって庶民に一気に広まり、世の中を席巻したのです。とはいえ、富士山へ出かけるためには莫大な資金が必要で、庶民にとって富士山詣では容易なことではありませんでした。一世一代の大巡礼をかなえるために生まれたのが、富士講という信仰のグループです。各講の構成員が旅行資金を積み立て、毎年、順番に参拝者を送り出すというシステムで、これができたことで多くの庶民が富士山を目指せるようになったのです。最盛期には富士講の総勢は8万人にも及んだというからも、講がどれほどの影響力をもっていたか想像できます。

富士講の信者たちが富士山を目指す際に歩いた信仰の道が「富士みち」です。大月宿(山梨県の大月)で甲州街道から分岐して富士吉田市に至る古道で、現在の国道139号線と富士吉田市の本町通りが該当します。「富士みち」が通る上吉田には、こうした富士講信者たちをサポートする御師宿坊(おししゅくぼう)が軒を連ねていました。御師(おし)とは信者たちに食事や宿を提供し、心身を清める祈祷などを授けた神職のこと。夏の登山シーズン、御師は自宅に講の信者を招いて登拝にまつわる衣食住のコーディネートを行いました。各登山口に御師宿坊が連なる御師町が築かれましたが、もっとも多くの登拝者を集めたのが上吉田の御師町でした。かつては86軒の宿坊がありましたが、富士講の衰退とともに減少し、現在も宿として機能している御師宿坊はわずか4軒のみ。そのうちのひとつが、大鴈丸の屋号をも〈御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki〉です。




御師文化を後世に伝えていく
〈御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki〉を営むのは、大鴈丸家18代目の大鴈丸一志(ひとし)さんと妻の奈津子さん。御師文化を後世に伝える拠点が必要だと感じた一志さんと奈津子さんは、1990年代に営業をやめていた実家の御師住宅をリノベして現代的なゲストハウスに蘇らせることを決意します。築453年の古民家は、一志さんの父が取り壊すことも考えていたというほど老朽化していましたが、木工職人である一志さん自身が手を入れ、現代の人々が快適に過ごせるようなしつらいにリノベーションしたのです。もちろん、宿坊らしい細工や佇まいは建物のあちこちに生かされています。エントランスを入ってすぐの板の間にはギャラリースペースを設け、古い道具や御師の斎服などかつての御師文化を垣間見ることができるオブジェを展示。家紋をあしらった美しい建具もそのまま残り、とくに海外からの旅行者に喜ばれています。



ゲストハウスを再開する以前、大鴈丸夫妻は上吉田にある御師の後継者と協働して富士講の歴史や御師文化を学ぶ勉強会を開催していました。コロナ禍により中断を余儀なくされるまで8年ほど続けていたといいます。

「御師文化や御師宿坊は廃れていく一方ですが、世間一般が思う富士山とは別の一面があること、この街のベースにはその文化があったことを現代の人にも知ってもらいたいと思っています。そうした一面を知っていただくと、『制覇する山』ではなく『生まれ変わりの山』『聖なる山』という新たな視点で富士山を感じていただけるのではないでしょうか」(一志さん)
2016年に営業を再開すると、富士山信仰に興味をもつ多くの外国人がここを拠点に富士山麓や富士吉田を散策するようになりました。
「山とつながる、自然に生かされるという日本人らしい自然観は外国人にとってとても魅力のあるものなんですね。実際、ここ2、3年で麓から富士山山頂を目指す外国人旅行者が増えているように思います。このゲストハウスでは、それを体感していただけるような宿泊体験を提供していきます」(奈津子さん)
古くて新しい富士山との向き合い方を継承すべく、大鴈丸夫妻は同世代の御師後継者たちと手を携え、新たに御師団青年部を立ち上げました。今後はインバウンド向けに御師料理(御師宿坊で行者に提供していたローカルな精進料理)をはじめとする御師文化体験ツアーの開催も予定しています。また、一志さんは新たに神職の資格を取得することも計画中。宿泊者に向けての祈祷や禊など、ここで提供してきた御師業を復活させたいと考えています。さらに、御師文化とアートを組み合わせる取り組みとして、富士山や御師文化にインスピレーションを受けた作家たちによるアーティスト・イン・レジデンスプログラムを開発したり、こうした取り組みから生まれた作品を紹介するギャラリーを開設したり……なんてことも構想しているとか。富士山が世界文化遺産に登録された理由の一つにはさまざまな芸術作品の源泉となってきた事実がありますが、御師文化が育まれた富士吉田の街に現代アートという視点がもたらされることは、富士山ルネサンスといえるかもしれません。

「信仰の歴史を垣間見られるような仕掛けがあり、どこかおごそかな気配を感じられるような、そんな魅力ある富士みち(本町通り)を再興したい」という大鴈丸夫妻。Re Style Projectは〈御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki〉をはじめとする現代の御師たちと手を携え、富士山信仰と富士みち、そして御師文化を世界に発信していきます。

【御師のいえ 大鴈丸fugaku×hitsuki】
所在地:山梨県富士吉田市上吉田7-12-16
電話番号:080-1525-9515
URL:https://www.instagram.com/fugakuxhitsuki/







